前回パンガイヌーン拳法について書きましたが、続きを少し。
この日本に伝わっているパンガイヌーン拳法、現存する空手の中では非常に少数派の、肉体の練功を重視した中国拳法色の強い物です。
見た目は客家拳法の南は蟷螂拳にそっくりです。
面白いことに、福建でこの拳を学んだという琉球人の開祖は、師匠の名を周子和だと言っています。
南派蟷螂拳の一派に、周家蟷螂拳があります。
さらにこの周子和という先生、少林寺三十六房の和尚だと言うのです。
三十六房と言えば、まさに洪門の武術修行所の別名。
剃髪をしない一般人に武術を仕込むところです。
福建、広東の洪門武術はみなここに由来するということになっています。
さらに言うと、この周子和和尚、別名を草青僧とも号したとも言います。
我々蔡李佛の三祖は、蔡家拳の蔡福禅師、李家拳の李友山、そして佛門掌の青草僧です。
もっと言うなら、この青草僧こそ洪門の創始者のひとりだと言われている伝説的人物です。
となると、日本から逃亡した琉球人の先生が洪門のリーダーである青草僧に弟子入りして佛門掌を体得、それがすなわち周家蟷螂拳であった、となれば話はすっきりするのですが、その可能性は低いと思われます。
一つには、すべてが伝聞であること。
そしてもう一つには、それを考証しようにもどうもこの琉球の先生は当時の当然で識字に暗かったそうで信頼のおける文字資料が無い。
だとすればもっと現実的な仮説が有力となってくる気がします。
つまり、官憲につかまって反乱組織、反社会組織に属しているとして糾弾されたら困る海賊武芸者たちは当時、みんなそういう仮託を符牒にしていたということなのでしょう。
誰に何を習ったと芋づる式に一網打尽にされないように、こうやって辿れないようにしていたのだと思われます。
うちの一味でも、師父はやはり客家拳法である白眉拳の日本第一人者であり、師叔は南蟷螂拳を学んだ数少ない人です。これらはみな、同じファミリーの物だからと合わせて学んだのだそうです。
私の場合はそのファミリーに入ったのが遅かったのでいくつかの客家拳法を中途半端に齧っただけでメインの蔡李佛に専念したのですが、その縁で南派武術を観る目と基礎教養を学ぶことは出来ました。
その結果、フィリピンに伝わった同じファミリーの武術であるラプンティ・アルニスとモンゴシにたどり着くことになったのです。
こういった内側からの目を持たなければ、伝来武術の繋がりとその伝承の裏にある物は見えてきづらい。
おそらく、パンガイヌーン拳法をやっている方々も、蔡李佛とルーツが繋がるとは思っていなかったのではないでしょうか。
元が秘伝系な上で符牒で隠しているような秘密武術、真相が外に知られることは非常に少ないということなのでしょう。