皆さんの中に、夏に向けてトレーニングをされていらっしゃる方はおられますでしょうか。
毎年これくらいになってくると、連れ立ってやる気なく器具の前にたまって仲間内でわちゃわちゃやって空くのを待っているベテランをイラつかせるガリガリの初心者がジムに沸く季節が始まっております。
5キロくらいのウェイトをつけてベンチプレスをしては五分くらい台の上でスマホをいじってまた30秒5キロを挙げる、というのを繰り返すのを見ていると「君たちは端のほうで腕立て伏せをしていればよろしい」と言いたくて仕方なくなるのですが、これ、キャリステニクスを学んでいるいまとなっては本当に心の底からお勧めしたい。
何しろ私自身がジムに行く日を減らしていまや自重に当てているのですから。
シットアップ・ベンチとウェイトを使った腹筋よりも、そこらの梁や公園の遊具にぶら下がってのVレッグレイズのほうがずっと効きます。
そんな私が最近気に入っているのが、逆手でのホリゾンタル・プルアップです。
腰くらいの高さの鉄棒や遊具などにぶら下がって、地面に踵を着けた状態でする懸垂運動なのですが、これが実に奥深い。
足をつけての懸垂なんて甘いという体育会系日本男児の根性論が出そうですが、実はこれ、世界中のマッチョマンたちのお気に入りの強力に効果のあるトレーニング法です。
私が学んでいるアジアの伝統的な肉体の鍛錬法では、肉体を動物の時代の使い方に持ってゆくことで能力の開発を図りるのですが、そのせいで現在の私がものを握るときにもっとも心地よいのは、親指を使わない握り方になっています。
フィットネス界で言う「サムレス・グリップ」。これは、私の腕の使い方がサルに近くなっているからであるようです。
その手で順手でホリゾンタル・プルアップをやるのと、逆手に掴んでやるのとは、効く場所に差が出ます。
順手だと前腕や上腕の肘に近い部分が、腱を保護するように鍛えられて、だんだん前腕が太くなってゆくのですが、逆手だと一番には上腕二頭筋に効きます。
いわゆる力こぶです。
力こぶと言えば筋肉の象徴。頼もしさと男らしさのシンボル。マッチョの代名詞なのですが、実はその印象に反して、うるさ型の中ではこれは実はあまり評判が良い筋肉ではないのです。
と、いうのも、上腕二頭筋は典型的なビーチ・マッスル、つまりフィットネス的な美観に訴えるためだけの筋肉で、実用性がほとんどありません。
確かに、上腕がむきむきで割れていて頼もしい男たちもいます。
それらの多くはやせ形で、ホルモンの分泌が激しくて、ついでに腹筋もシックス・パックだったりする。
いわゆる細マッチョでとてもかっこよい。
しかしそれは逆説で、多くのマッチョたちの中で言うなら最軽量級。全体が細いがために力士やレスラーのような大男たちだと埋もれてしまって見えない上腕二頭筋と腹筋が浮き彫りになってしまっているだけだったりするのです。
実際のところ、腕の太さの比率としては、力こぶよりもその裏についている上腕三頭筋の方が体積が大きい。
プロレスラーや、力自慢コンテストに出てくるような巨人たちの腕を見ると、明らかに腕の後ろ側のほうが太くて、二頭筋は長くてのっぺりしていることが見とれます。
細マッチョやファッション・モデルの丸まるとした力こぶはあまり見られません。
さらに言うなら、この上腕二頭筋には本質的に使えない理由が存在します。
それは、この筋肉の役割は肘関節を伸びている状態から曲げるという物なのですが、その用途に反して力こぶがソフトボールのように肥大すると、容易に前腕と上腕の間でつかえてしまって可動域を狭くするのです。
本来の目的を強く行うために成長するほど、本来の目的を妨げるという不思議な筋肉となっています。
私の友人の中には、鍛えすぎて自分の指で肩を触れない物がいました。非常に不便です。
そのようなことのためか、これは武術や格技の世界では、無駄な力を象徴する筋肉としても扱われています。
自分の力、無駄な力を拙力というのですが、それは一般に曲げる力、関節を屈曲させる力だという見方が強くあります。
よって、腕を曲げるだけの力こぶの力は典型的な無駄な力だとされます。
格技としてもこのような力が必要とされるものは非常に少ない。
ボクシングや空手などの相手を突く競技はもちろん、レスリングや相撲のような相手と組む競技においても、いかに引き付ける力を筋力で産むかではなくて技術で生み出すかがポイントになっています。
数少ない例外は柔道で、それは柔道が相手の体そのものではなくて道着という無機物を掴んで振り回すという独自の道具を用いるところが理由となっています。
この引っ張る力というのは、トータルな能力が必要とされる運動行為においてはほとんど役に立たない。
ではなぜ、この力こぶがこれほどまでに筋肉のアイコンたりえているのでしょうか。
それはまさに、ビーチ・マッスルだからなのではないでしょうか。
ビーチマッスルと言えば、盛り上がった上腕二頭筋、張った大胸筋、そして割れた腹筋というのが三大アイドルでしょう。
これらの筋肉は、かっこよさを示す重要な尺度です。
そしてフィジカルなかっこよさとは一言でいうなら、セックス・アピールです。
女性の中で、最大のセックス・アピールがある部位と言えば、顔と乳房ではないでしょうか。
それに次いで、南米系やアフリカで人気のあるお尻、と続くでしょう。
お尻に性的なアピールを受けるというのは、哺乳類として一般的なことです。
それは、性器がある意味においてお尻に存在しており、それを主張する臭腺がそのあたりに存在するからです。
それに対して、顔や乳房に性的な意味があるといのは非常に人間的な独自の価値観です。
これは、人間が唯一、二足歩行を常態として生活している生物であるため、お尻が下を向いてしまったからだそうです。
そのため、対面して相手を認識し、性的な判断をすることになります。
なので、人間と人間にもっとも近いサルであるボノボのみが、正常位など対面しての性交をします。
それ以外の動物は後背位での性交を行います。
正面から成功する物のみが、前から見える顔と乳房に発情するのです。
この理論にのっとって言えば、男性におけるビーチマッスル群こそがまさに女性においての乳房でしょう。
ことに、上腕二頭筋と腹筋は、動物界において異例の発達をしています。
ライオンでさえおなかは弱いというくらい、四つ足動物は地面に向けている腹筋が弱い。
動物が同族間の小競り合いで降伏をするときのおなかを見せるのはそのためです。服従の証として最大の弱点を晒す訳です。
そういう意味で、非常に人間らしい筋肉、人間であるということの主張になるのがビーチマッスルたちです。
上腕二頭筋に話を戻すと、そもそもが四つ足である動物たちは前足だけを独立して使い分けるということが極めて少ない。
特に、重いものをもって自分に引き寄せるという行為はほとんど行わないことでしょう。
それをするには、まず土台となる後ろ足が独立して強くないといけないからです。反作用で自分が倒れてしまう。
そのため、多くの動物の前足の引き寄せる力は、軽いものを運ぶ程度の物しか必要となりません。決して人のようにダンベルや引っ越しの荷物を持ち上げたりはしません。
しかしそのために用いるとしても、上に書いたように上腕二頭筋は非常に矛盾した筋肉で、とても便利にできているとは言い難い。
これは何かの設計上のミスなのでしょうか?
そもそも、野生の動物は人間のように何かの物品を私有物として確保したり、物を持って移動したりすることはあまりありません。
文明という物を築いて私有財産という概念を持った人類ならではの筋肉がこの上腕二頭筋なのかもしれない。
だとしたら、私が行っているような伝統的な練功法やカンフー、ヨガなどでは、動物の時代の体の使い方をするわけですので、この筋肉はつかないのではないか?
ところが違うのです。
この筋肉には、人間が動物だった時代にはいまとは全然違う重要な役割がありました。
それが、荷物を自分に向かって持ち上げるのではなくて、相対的に自分を持ち上げるという機能です。
人間が樹上生活者であるサルだった時代に作られた肉体の基礎設計においては、そのために身体能力の総体が作られていました。
多くの動物の足と同じく、移動のための機能を働かせるにおいて、樹上生活では立体に前足を活用する必要がある訳です。
すなわち、懸垂運動です。
そのため、私たちの体づくりにおいては手こと前足は物を持ち上げるのでなくて自分を持ち上げる物として使うことで本能的な機能を呼び覚まし、関節構造に無理のない形で強化を図ることになります。
その運動の角度からなら、自分の肉体を上下に運ぶ上で力こぶが関節につかえて邪魔になるということもありません。
ウェイト・トレーニングよりも懸垂です。
バーベルやダンベルでのトレーニングにはグローブやサポーターが欠かせず、それでも腱鞘炎や関節障害を起こしている人が多いのは人体の基礎構造に反しているからでしょう。
でもそれではかっこの悪い体にしかならないなあ。という意見を持つ人も多いでしょう。
確かにその通り。
しかし、この懸垂には面白いことがあります。
それは、伝統的練功法で本能を呼び起こして体を作っていると、大胸筋や腹筋が鍛えられてくるということです。
前足を使って後ろ足までを運ぶという運動を行っていると、手足をまっすぐつないだルート上に大胸筋と腹筋があることになります。
疑う人は万歳をしてみればお判りになることでしょう。
伝統的な練体をしていると、力こぶ、大胸筋、腹筋がひとつながりの太い縄のように使われてより上げられてゆくのです。
細マッチョのような超人間的造形美とは違いますが、人間と動物の中間状態の味わいが出てくると良いなあと思っています。
少なくとも、機能と健康性においては明らかに申し分のない鍛え方となります。
本来の機能を取り戻して、自由に動けて自由に生きやすい肉体を獲得できます。