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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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ボクシングと近代史の話 6

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 さて、このラーマ一世の王宮に乗り込んで来た道場破り、タイ側の資料では「ムエファラン」の使い手だったとされています。

 ファランとはフランクが訛ったタイ語で、白人全般を示す言葉です。決して花郎のことではありません。

 ムエはムエタイ、ムエカッチューアー、ムエパン(プロレス)のムエで、戦いなどを現す言葉のようです。つまり、白人武術、くらいの意味の用です。

 現在手元にある資料では、これが当時のボクシングであろうということです。

 試合は当時東南アジアに来ていた白人たちにとっても良い見世物であったらしく観客が訪れて、タイと列強の公開遺恨試合の様相となったようです。

 そして結果ですが、ムエファランとタイ式レスリングによる午前試合の結果は、乱入による乱闘となっています。

 選手が追い込まれたと見たムエファラン側のセコンドによる乱入がきっかけであったとされており、そのまま雪崩式にタイ側の闘士たちも参戦、観戦に来ていたファランの観客らも巻き込んだ暴動となってうやむやに終わったらしいのです。

 この手の後の呉陳比武もそうですが、面子が掛かった大一番はなんやかんやでうやむやになることが珍しくありません。

 やはり興業の手際、はっきりと損する個人を出さずに収益を出すと言うのがやり手の仕事だったのではないでしょうか。

 きっかけとなったファランの選手たちは国外追放ということになったようですが、これも生かして無事送り出したという風にも取れます。

 昔、プロレスラーの前田日明選手がプロレスを辞めて格闘技路線に行った物の、明らかに中身はプロレスという興行をしていたときに「古武術にも演武がある」という発言をしましたが、この辺りの機微はずっとあったのでしょうね。

 実際の、本物の流儀の使い手たちがことあれば戦争が起きてそれを用いるかもしれないという状況でそのような交流をしたということ自体がすごいという気はします。

 ラーマ一世は特にこのことに強く気を引き締めたようでした。

 得に、タイ側の選手が試合中にファランを殴ったところ、手の骨を折るといういわゆるボクサーズ・フラクチャーをしたことは重要視したようです。

 私も経験がありますが、本当に手の甲の骨と言うのはパンチをするとぽっきりと折れやすい。

 ショートパンチ一発で複雑骨折をしてしまい、いまでも人差し指の付け根はくの字に曲がってくっついています。

 ラーマ一世は王宮に拳法研究所を作り、カビーカボーンの徒手部門であったパフユー(拳法)の追求を命じます。現代ムエタイが起きたのはここからです。

 この曲がり角が無ければ、ムエタイは今でも肘と蹴りを重視したパンチの無い武術だったかもしれません。

 家来たちはここで、ムエファランを研究します。

 ボクシングは、この時はまだ総合格闘技でしたが、19世紀にはパンチだけの格技になるくらい、拳の技術を重視していました。

 それをそのまま取り入れたため、現在のムエタイでもフックやアッパーを現すタイ語はなく、そのまま英語でフック、アッパーなどと言っているそうです。

 さらに、この部署ではもう一つ重要な発明をします。

 それが、カッチューアー、すなわち紐です。

 前腕から紐を巻き付け、拳にこぶのような結び目を設けるやり方を発明することで、手の骨を守り、相手にダメージを与えるという戦い方を確立したのです。

 彼らはこれをムエ・カッチューアー、すなわち紐拳法と呼びました。

 イギリスのボクシングでグローブが普及する前に、彼らはすでにこれを実戦の武器として編み出していたのです。

 このようにして確立されたムエタイは、タークシンとラーマ一世によって編纂されたインドの神話「ラーマヤーナ(彼らはこれをラーマキエンと呼んでタイ化したようです)」に登場するカラリパヤットをルーツであるとし、サームレイ―の日本武術、中国のカンフー、そしてイギリスのボクシングの要素を受けて完成しました。

 このため、80年代ほどまではタイ人の認識ではムエタイというのはスポーツではなくて武術であり、ジムでは一人のクルー(師匠)が古式を中心として体系を保ち、試合に出る生徒にはその試合のルールに合わせて「次の試合ではタイ式」「今度の試合では国際式(イギリス式)」と技術を分解して教えていたようです。

 実戦の拳法と試合用の技術、さらにその中でもムエタイとボクシングが完全に別の物に分かれたのは比較的近年であるようです。

 

 

 

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ボクシングと近代史の話 7

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 タイではボクシングとタイ武術の試合が行われて、その泥仕合を重く見たラーマ一世は、インド武術にルーツを持ち、功夫を実質的な母体とし、日本武術を取り入れて作られた既存のタイ武術に、さらにボクシングを取り入れて拳法を単体で完成させることに取り組みました。

 そうして作られた拳法、ムエ・カッチューアは、ラーマ一世統治下にあった現在の周辺国にも広まりました。

 ミャンマーのミャンマーラウェイ、カンボジアのボッカタオなどはその時に広まった物であると推察されます。

 結果、周辺諸国に西洋武術に対する最先端の布陣が敷かれたことになります。

 その間、列強の代表勢力であった大英帝国は、マレー半島の占領に失敗し、インドに的を変えるもそこで同じパイを狙うフランスと奪い合いになって英仏戦争を経由しています。

 それによってフランスを撃退した結果、侵略のための出先機関であったイギリス東インド会社は今度はインドの統治機関へと業態を変化させてゆきます。

 悪いヤツらですよまったく。

 この後、彼らは「インド大反乱」というものすごい大騒動を起こしてインド内に存在していたムガール帝国の残党やシク王朝らの旧勢力を駆逐してゆき、インド帝国を樹立させます。その頂点にヴィクトリア女王を「インド女帝」としていただき、ここにヴィクトリア朝最盛期へと向かってゆくのです。

 このままインド帝国を足場に一気に清朝を乗っ取ろうというのは当然のなりゆきです。

 しかし、その間に立ちはだかっていたのは市井の武術集団の数々でした。

 なにせここは、あのアジアの帝王清朝のテリトリーだからです。

 清朝に踏み込むと各地で武術集団による反乱が起きました。

 それらをイギリスでは「ボクサーズ」と呼んで恐れました。

 なにせ火力の差にも関わらず、彼らは大刀や長刀などの伝統武術で押し寄せてきて、あまつさえ勝利をもぎ取ってゆくのです。

 この流れの中で起きた「ものすごい大騒動」のきっかけとなったのが、セポイの乱として知られる事件です。

 響きが面白いので教科書の中で覚えていたという方も多いのではないでしょうか。

 次回で詳細に触れてみたいと思います。

 

 

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ボクシングと近代史の話 8

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 セポイとは英語読みだそうで、正しくはオスマン語でスィパーヒーと言うのだそうです。

 意味は「軍人」だそうで、騎士階級のことを指していたと言います。

 この言葉を受け継いだ人々がインドにもおり、それがセポイと呼ばれる傭兵集団として知られています。ここで一旦中東の騎士制度が介入してくることが、キャリステニクスの歴史から見ても面白い。

 19世紀半ば、彼等が宗主国であるイギリスに対して一大蜂起を興したのが、セポイの反乱という事件です。

 反乱と言ってもちょっとやそっとの物ではなく、この蜂起に乗じて各地の藩王らも立ち上がり、旧ムガール帝国までが参加し、全インドの3分の2にまで拡大したので、いまでは「インド大反乱」と呼ぶことが多いそうです。

 イギリス側の懐柔に出たり、ネパールからグルカ族の傭兵を投入したりと手を尽くして鎮圧を図った結果、ムガール帝国は息の根を止められることになり、かたやイギリス東インド会社は壊滅するということになります。

 この結果、インドはイギリスが直轄することになるのですが、その中で行われたのがセポイのような武術勢力の制御です。

 大英帝国は彼等の武術であるカラリパヤットを禁止します。

 これによって、ヨガも弾圧されることとなり、アジアの武術、身体文化の歴史は現在の状態に細ってゆきました。

 西洋式のフィットネス・ヨガや共産党の創作した新武術、近代日本が作った本土の空手道などの文化帝国主義が横行する直接のきっかけと言っても良いのではないでしょうか。

 昨今、カニエの嫁さんのキムのブランド名に騒いでいる人たちが居るようですが、まさかその中に空手道をやって神道の神棚に礼をしていたり、ブラジリアン柔術をやって練習着をギだとか言って喜んでいるような人は居ないですよね。そんな恥知らずがこの世界に存在する訳がない。アメリカ式のヨガなんてやってる訳がない。

 武術太極拳も空手もオリンピック競技になって喜んだりしてる訳がない。

 そのようなことを文化帝国主義といいますが、この帝国、大英帝国において、前述したロンドン・プライズ・ルールが出たのは1865年です。

 グローブを付けて、両手だけを使ってやるという現代ボクシングの基礎となったルールです。

 投げの禁止、蹴りの禁止を公式に行った物です。

 これはつまり、イギリス領における実戦武術の訓練の禁止を意味した物となります。

 なのでこのルールは、それまでのバーリ・トゥード的なローカル・ルールと違って、クイーンズ・ベリー侯爵という極めて身分の高い貴族の後ろ盾によって行われているのです。

 つまりは実質的な禁武令でした。

 この、ボクシング・コミッションの権威の格闘技界における強さというのは20世紀になっても継続しており、初期のUFCが行われた当時のアメリカでは、彼らの許可が下りないという理由で開催場所が限られてしまっており、カリフォルニアやラスヴェガスと言った土地ではなく、デンバーやノースカロライナと言った土地で行われていました。

 私が観に行った第四回大会などはオクラホマ州のデンバーでの開催です。

 全米50州のうち、36州では禁止がされていたというのです。

 このように後々に至るまで禁武政策が尾を引いた英米をもっとも震え上がらされた事件が、1900年に北京で起きた「真夏の狂気事件」であることは間違いないでしょう。

 義和団事件という拳法家集団(ボクサーズ)が反乱を起こし、首都である北京を占拠、駐在していた外国人たちの喉元にまで迫ったという事件です。

 列強は清朝に圧力を掛けて義和団を懐柔させたのですが、結局は直接交戦においてはボクサーズは常に欧米の侵略者を脅かし続けてきたということです。

 その歴史の痕跡が、今日のボクシングと言う世界的競技を形成したのです。

 それはすなわち、近代世界における武術と格闘技の明確な分水嶺でした。

 

 長々と一連のこの話題にお付き合いいただきありがとうございました。

 これらの記事は、いつも私の活動を支えてくれる、中国武術家の探海夜叉先生が、深く広大な海を探って資料を集めてくれたことで書くことが出来ました。

 ありがとうございました。

いま再び、ジョジョの奇妙な冒険について 1

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 さて、ボクシングを縦軸として列強とアジアの身体文化について長々書いてまいりましたが、その激動の時代の中で思い浮かぶのが、ジョジョの奇妙な冒険です。

 いや、色々なことが見えてくるほどに本当によく調べて書いてあるということに驚かされます。

 第一部は、1880年から始まっていると言います。

 セポイの反乱が終わったのが1958年。

 ボクシングのクイーンズ・ベリー・ルールが施行されたのが1867年です。

 物語の最初、主人公のジョナサンと悪漢のディオが草ボクシングの賭け試合をすることになります。

 この試合は、リングが存在しており、蹴りなどはしないようなので施行後13年ほど経っているクイーンズ・ベリー・ルールであることが想定されます。

 フットワークを使うアウトボクシングを使って、ジェームス・コーベット選手がチャンピオンになり、近代ボクシングの歴史が始まるのが1892年なので、この時にディオが体格に勝るジョナサンに足を使って勝つというのは時代を先取りした極めて有効なスタイルであったと思われます。

 この時のディオのスタイルは「貧民街のブース・ボクシング」という物だそうですが、彼はボクシングについて「ロンドンでやって知っている」と言っているので、恐らくこのブース・ボクシングは「ロンドン・プライス・ルール」の流れの物であると思われます。

 ロンドン・プライス・ルールでは投げも掴みもあり。肘打ちも多用されていたと言います。

 そこでこの試合においても、ディオはすかさず肘を入れて行きます。

 さらには、そのままサミング(目つぶし)。

 これもまた、ロンドン・プライス・ルールでは「テクニック」として活用されていたものです。

 ディオがやっていたこのスタイルは、時代設定を考えた時にもっとも強力な物を取捨選択したテクニックだった!

 これはすごいことです。

 ジョジョの連載前に荒木先生は実際にイギリスに取材に行ったりと相当研究をしているようですが、ちゃんとこの時代の格技の空気を学んでそれを作中に再現しています。

 この試合から数年後、ジョジョとディオはイギリスの貴族の子息がアジア当世のための帝王学、政治学として学ぶラグビーのエース選手となっています。

 すでに実質的な禁武政策であるクイーンズ・ベリー・ルールが普及しているであろうその時代においては、恐らく最もマッチョでタフな男性を創り出すスポーツがこれです。

 そのジョジョの前に、英国帝国主義が消し去ろうとしていた伝統身体操法が立ちはだかります。

 一つが、中国人のワンチェン。

 彼は中国武術の使い手です。

 もう一つが、ツェペリ男爵とトンペティ老師の弟子たちです。

 彼らはチベットで仙道を学んでいた身体操法家で、その技法をジョナサンに伝授します。

 インドではヨガの流れを汲むカラリパヤットなどが禁止されており、当時の技術は秘匿され、一部の部族、およびチベットと中国に残るのみだ、というのが一般に言われているところです。

 現代ではその一部の人々に伝わっていたカラリパヤットが復興活動をしているようですが、ヴィクトリア朝のジョナサンの時代は弾圧まっさかりです。

 また、これを破ったセポイへの処刑は見せしめを含んだ極めて残酷な物であったとして知られています。

 この、ヨガ文化がチベットに行き、当時清朝の領土であったかの地で中国の気功、武術と融合しているのは考証上納得のいくお話です。

 チベットヨガは、ツァルンなどと言うのですが、中国の物と融合しているのなら、これに仙道の名を冠している派があっても不思議はありません。

 なにせ、中国の気功もまた、ヨガの流れを汲んでいて土着で発達したものであるからです。

 ちなみに、インド、タイ、チベットでこのヨガの系統の身体操法を行う人をリシ、あるいはルーシーと呼ぶのですが、これは昔から日本語では「仙」と訳されています。

 ほら、すべて正しい! 実によく調べています。

 このように、アジア伝統身体操法によってディオの悪の勢力に立ち向かってゆくジョナサンたちなのですが、そこに現れた強敵が、タルカスと黒騎士ブラフォードというエリザベス一世の時代の騎士たちです。

 この騎士たちとジョナサンが戦うのは、かつての騎士の訓練施設です。

 騎士たちの訓練と言うと、はいこれキャリステニクス。

 業師のブラフォードとパワー型のタルカス。ポール・ウェイド先生の本を読んでいるとにやりとさせられます。

 子供のころに、このジョジョ第一部を読んでいた時にはキングの小説や洋楽の引用にばかり目が行ったのですが、ちゃんと歴史的な身体操法についての知識が土台としてあるということに、いまさらながら非常に驚かされます。

いま再び、ジョジョの奇妙な冒険について 2

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 ジョジョの奇妙な冒険の第二部「戦闘潮流」は、1938年を舞台にしています。

 第二次世界大戦が始まる前年であり、アジアでは日中戦争の最中であり、ドイツではナチによるユダヤ人の弾圧が始まっています。

 主人公のジョセフは、主人公はノリの軽い青年、ジョナサン・ジョースターで、彼は冒頭、街の荒くれ者(ブルートと呼ばれている)に泥棒と誤解されて殴り掛かられます。

 この時のこの荒くれ者のファイトスタイルは、恐らくはボクシングで、すでに20世紀に入っているのでクイーンズ・ベリー・ルールを母体とした現代ボクシングであることかと思われます。

 この時代はアメリカがモンロー主義を崩したことで世界大戦が始まると言ういわば伏線と陰謀の時代とも言えるころです。

 ドイツの不穏な動きの背景には、第一次大戦による敗北で背負った莫大な賠償金の存在がありました。

 その負債に苦しむドイツが、救済策としてナチス・ドイツという在り方を求めていたのです。

 ジョセフの父であるジョージ・ジョースターは第一次大戦時の飛行機乗りだったとされています。

 これはまさに、以前に書いたレッド・バロンと同じ時代の黎明期のパイロットであり、あるいは彼と同じ戦場を飛んだこともあったかもしれません。つまり、最後の騎士の時代の人です。

 そのような時代の気風の変化を反映してか、ジョセフはずいぶんとモダンな若者で、紳士の道や騎士道というものに形式的には囚われていません。

 そんな彼は、ジョナサンと同門のチベット仙道の修行者であったストレイツォが狂気を発して襲ってきたことをきっかけに仙道の道に進むことになってゆきます。

 その中で注目したいのが、仙道の修行で行われた地獄昇柱という物です。

 これは巨大な柱を昇ることで仙道の力を練るという物なのですが、実はキャリステニクスに実際にある修行なのです。

 とはいえ、実際にはそこまで巨大な柱ではありません。普通サイズです。

 この柱を登る訓練のことをマラカーンブと言うそうです。

https://www.youtube.com/watch?v=4Iaej0mpBuk

 

 インドで行われている物なのですが、ポール・ウェイド先生の説では、古代の西洋キャリステニクスから伝わったと主張です。

 ただ、実際にギリシャ時代からある物なのだとしたら、ペルシャ帝国が中東からインドを支配していて、ギリシャにも迫ってたので、その時に東から西に伝わったのではないかなあという気がします。

 ですが面白いのは、インドでは19世紀にレスリングの修行として編み出された説があるのです。

 そうだとしたらそれほど歴史が深い物ではない。

 でも、19世紀ってことはセポイの反乱で禁武政策が敷かれていたころです。伝承が嘘をついていてもおかしくない。

「いや、これは最近作ったヤツだから。そんな、ヨガとかカラリパヤットとかそういうやっちゃいけないアレとは別のソレだから。そう。ほら、昨日編み出した。思いついて、やってみた。出来た」みたいなことを言っていても不思議はありません。

 というのも、中国にも軽身功などで同様の物がありますし、それが流れた雑技も有名です。

 日本では江戸時代から火消しによる出初式のハシゴを使った軽業が行われていますので、アジアにはこういう物じたいはずっとあったと考えられます。もちろんそれが古代ギリシャ発祥であってもおかしくはないのですが。

 いずれにせよ、これらは明らかに現在行われているキャリステニクスの主要スタイルである、ストリート・ワークアウトと繋がっていると思われるのです。

 ジョナサン・ジョースターはチベットルートで伝わってきた仙道の修行の過程でこれの非常に難易度の高い物を経験し、来るべき強敵との戦いの訓練をしました。

 インドでの伝承でも、レスリングでの修行でこの特訓を編み出した戦士は、本番の戦いで飛び関節技を用いて勝利をしたと言われているそうです。

 だとしたら、この流れは旧ソ連のサンボにも繋がっていると言って良いでしょう。

 西洋、中東、アジア、ロシア領を繋ぐ非常に面白い身体文化の伝播を感じることが出来ます。特に、レスリングを主体とした武術とキャリステニクスの歴史を考えると非常に面白い、太いルートが見られます。

 こういうところをきちんと調査してモチーフとしている荒木先生おそるべしです。

猫人間 1

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 先日、お友達のダンサーと話をしていました。

 彼女はものすごく身体が柔らかくて、柔軟性に関してはこれまではダンスで苦労をしたことはなかったようなのですが、去年から新しい先生のところで踊るようになったところ、体幹が無いことを指摘されて悩んでいます。

 そこで私の見立てを伝えたのですが、彼女は恐らく過剰運動症なのです。

 これは、自律神経が交感神経の優位にいきずらく、関節が危機感を感じて硬直しにくい体質のことです。

 宇多田ヒカルさんがこれであることを最近発表していましたが、彼女もこの数か月で始めたコンテンポラリー・ダンスの練習の過程でこれに気付いたのかもしれません。

 関節が柔らかいと可動域が広いのですが、逆に止めや当て、弾くという動きが出来ません。

 個人的にはポッピングのような硬直する動きは必要ない気もするのですが、それはあくまで武術での話。ダンスと言う表現に関しては必要なことがあります。

 とりあえず、関節が柔らかいままきてしまったので、彼女が体幹の筋力が弱いというのは結果としてあるかもしれません。

 日常でも身体をまっすぐに維持するのが苦手ですぐに持たれてしまうといいます。

 過剰運動症の人の特徴がこれで、ちょっと液体人間みたいなところがあっていつも何かに持たれてしまうのです。だからたたずまいが猫のようになってしまう。

 傍に人が居ると、自然にしがみついたり寄り掛かったりして体重を支える習慣もついている人も居ます。彼女もしかり。

 だから、あれ、このこ気があるのかな? と思ったり、周りの女性が「何よあの子」と不快に思うのは実はお門違いで、本当に抗重力するのが苦手で寄り掛かってしまっているだけなのです。

 いわゆるボディタッチ女みたいな子の中にも、あざとさではなくてこの事情でそのようになってしまってる人が割にいるかもしれません。

 皆さん、ダイバーシティと共存について広く心を持つことを試みてみましょう。

 このタイプの人はその生活習慣によって、背骨に曲がり癖がついてしまうことが多い。

 猫背になったり、あるいは横に曲がってしまったり。

 これは、肩こりや腰痛の原因になるだけではなくて精神に問題を生じさせることも考えられます。

 というのも、人間の主要な神経は脊椎に由来するため、これが曲がってしまっているとところどころで圧迫されたりしてホルモン分泌や情報の伝達が阻害されかねないからです。

 ある程度以上の発達障害のある人は、背後から見てもそうだと分かります。

 成長ホルモンの分泌に異常があるためか、頭部、首、肩周りのバランスが通常発達と違うことがあるからです。

 特別な運動をして筋肉の付き方が独特なのかな? くらいの違いです。

 でも、それは肉では無くて骨の形状から来ていたりするので、違和感が残ります。

 この間、映画を観に行った時に次のDC映画「ジョーカー(仮題)」の予告編を観たのですが、この作品では狂人となる主人公の異常性を表現するために、背骨の形状を非常に強く演出に使用していました。

 彼の裸の背中が映し出されるのですが、その背中や肩甲骨がとても歪んでいるのです。

 先天的な物である場合は仕方がないのですが、過剰運動症で少しづつそちらに近づいてしまったらやはりあまり良いことではないでしょう。

 だとしたら、姿勢を維持する生活をした方が良いでしょうし、そのためには筋肉、そして腱を発達させた方がいい。

 そこで彼女に請われたのもあって、いくつかのキャリステニクスを紹介しました。

猫人間 2

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 過剰運動症らしき猫人間に、いくつかのキャリステニクスをお伝えすることになりました。

 腕立て伏せが出来ない女性でも、壁立て伏せからなら入りやすいことでしょう。

 負担の少ない物から始めて、腱や関節を育っててから筋肉をゆっくりと付けてゆくというこのやり方は、私のように運動で障害を作りたくない人のみならず、トレーニング初心者にも適している素晴らしい体育法だと思います。

 少ない運動を一日15分以内、週に二日、あとはたっぷりの睡眠とジャンクフードという私の説明を聴いて、彼女がいぶかしみました。

 というのも、元々この猫は栄養士をしていたとのこと。それは大いに疑問を抱いて当然です。

 特に、寝る前にジャンクフードというボディメイクはあまりにも画期的過ぎると感じるのは当たり前でしょう。

 私も、ネット、書籍、ボディビル雑誌といくつかの場所でこの説を目にしていなければやはりおかしな説だと思ったに違いありません。

 しかし、繰り返し発表されるこの学説では、運動で身体に負荷がかかっている人は寝る前にポテチを食べると疲労が回復するとされているのです。

 それは、いくつもの栄養素や炭水化物、および脂質の組み合わせによる物なのでしょう。

 確かに、昨今運動に対して意識の高い人であればあるほど炭水化物をカットする傾向が強いように感じます。

 しかし、それは極めて短期的な人工的飢餓状態のなせるものであり、すぐにリバウンドすることもまた多く聞かれるところです。

 個人的経験から言うと、十代から試合に備えて体重調整をしてきた私もその方法とは長い付き合いで、おかげで身体がそのように進化してベンチプレス169キロを挙げる今でさえ、牛丼の並盛がご飯多すぎで食べられないという様になっているのですが、それでも太ります。

 長期的な(私の場合は二十年を越している……)炭水化物カットは、身体を太りやすくします。

 飢餓状態は一時的にはやせるのですが、人類の飢餓の歴史によって遺伝子に組み込まれている飢餓細胞が活性化し、身体に脂肪を貯めこみやすくします。

 それに加えて慢性疲労も伴い、炭水化物カットは恒常的に行うとろくなことがない。

 この一年くらい、ようやくそれを改めて少しでもご飯などを食べるようにしています。

 それまでは、定食屋さんや牛丼屋さんに行ってもご飯は無しだったのが、いまは小盛のご飯を半分にしてもらっていただいています。

 でも、何十年にもわたって働いてきてくれた飢餓細胞は中々眠りについてはくれない。

 私が普通の人並みに食べるとたちまち巨デブになってしまうことでしょう。

 そんな私があまりにトリッキーな就寝前ジャンクフード法を取り入れたのは、いくつかの説からの結果なのですが、そのうちの一つには私の気功の大師である謝明徳師の説にもあります。

 そこには、男性は消耗をしやすいのでイモ類などを少し摂るとよいとされていまして、このポテチ法にも合致するところです。

 そして実際、やってみると疲労が回復しているように感じられます。

 特にキャリステニクスの疲労とは相性が良いように思います。

 これは、気功もキャリステニクスも、点滴を打ったり劇薬を使ったりして対症療法をしてゆく、という考えでは無くて、その人の体質そのものを変化させるというアプローチであるからではないでしょうか。

 先に書いた脊椎のお話もそうなのですが、骨格や生活習慣などで神経の働きやホルモンの分泌と言うのは確実に、長期的に影響を受けています。

 睡眠前のジャンクフードは、栄養が確保されていることを体に伝えて飢餓モードを解除するきっかけになるかもしれません。

 ポール・ウェイド式のキャリステニクスやアジアの練功法では、決まった時間に叩きこむ苛烈な運動よりも、日常的に行う運動を重視しています。

 それによって「生活はこういう物」ということを体に教えて適応を促すのです。

 それが、一日のうちに22時間は椅子に座ったりベッドに寝転がったりしてスマホやPCをいじっているような生活をしていて、残りの二時間だけ急激に重いウェイトを挙げたりしていると、無防備な身体に突発的な事故が当たったみたいなもので、負傷はしても適応はしづらい。

 これが運動障害です。

 その二時間に身体にかかる負担を安全な範囲にまで落とした上でまんべんなく一日のうちの多くの時間に希釈すれば、身体はそこに適応してゆきやすい。

 身体の一部を硬くしたい場合、中国武術などでは初めは布で軽くなでたり、こすったりする程度のことをしてゆき、やがてコツコツと当てる程度のことを長期にわたって行い、軟組織を厚く、強く、かつ柔軟な耐久性を持つようにしてゆきます。

 それが、いきなりコンクリートの塊か何かを思い切り叩きつけたらどうでしょう?

 ただ骨が折れて当分安静を強いられて終わりです。

 適応というのはそういうことです。体質そのものを変化させる。

 運動を少しづつ隙間時間で行って身体をそれになれさせてゆくというのは、キャリステニクスの重要なコンセプトです。

 はたして、猫人間はうまく育つでしょうか?

 まぁ、猫なので長く続けることが何より苦手なそうなので、結果は分からないところです。

 ジャンクフード食べて寝る習慣だけついたらどうしよう。

 それ私のせいかな?

習慣化による体質改善

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 トレーニングは、急激な負荷をかけるのではなくて習慣化させるような負荷の掛け方がよいのだ、と書きましたが、これに関してちょっと詳細を述べてみましょう。

 ここに関しては、そもそもの身体を換えると言うことに関する思想の部分が反映されます。

 もともと、人間の身体というのは現代文明より早くからあります。

 そして、その身体の要求に能力を引き出させない形で文明病が発生して、それを解消するためにさらに身体の要求に反する形でウェイト・トレーニングなどが生まれました。

 過酷な自然の中で裸で生きられる肉体→楽の出来る文明圏内で本来の能力が失われた肉体→それを早急に改めようとして不自然な負荷を掛けられた肉体=各種の機能障害を抱えている。

 という流れです。

 確かに、最先端のフィットネス理論で作られた肉体は、いままでの世界で誰も見たことが無いような驚異の外見を持っています。

 そして、それは間違いなく、不自然であり、本来人間がそうなるようになっている肉体ではありません。

 人間の頭の中だけにある理想像に基づいて人工的に作り出した物です。

 それを維持するだけの生命の力が、本来人類には備わっていません。

 そのために、関節は疲弊し、内臓は消耗してゆきます。

 プロのボディビルダーの突然死は後を絶ちませんし、日本でもトップのフィットネス・インストラクターだと言う女性は「身体が持たない」とニンニク注射を打ちながら活動をしています。

 どちらも薬物の力でやっとこの地上で生きている状態です。

 だったらいっそ全身整形で改造してしまったほうが楽でしょうにと思うのですけれども。

 このような状態が、現代のフィットネスの現実です。

 だから結果にアプローチする短期間での強硬なフィットネスをしても、すぐにリバウンドしてしまう。

 それは、元々肉体が望んでいる状態ではないのです。

 そこで、もし現状の自分の肉体に問題があるなら、あるいは自我とのミスマッチがあるのなら、肉体の要求をかなえる形で落としどころをすり合わせていったほうがおそらくは健康的です。

 この考え方が伝統的に伝わる肉体に関する思想であり、私が肉体の変化を通して精神を自由にしてゆくという物として提唱しているフリーダム・ボディの思想です。

 インドのヨガ、中国の気功などから継承しているものです。

 身体がありたいとしている姿と、エゴが望んだ姿を喧嘩させてはいけません。

 エゴで無理やり肉体を支配しようとすると、必ずひずみが出ます。

 身体に無理が無いペースで生活を変化させてゆき、だましだましその習慣によって肉体の形状や能力を変化させてゆくのが良いやり方だと思います。

 例えば。

 もし、フィットネス的なやり方、あるいは部活的な根性論のやり方で、一度のジムワークでベンチプレス80キロを10回挙げるセットを8セットやるとします。

 このやり方で負担が大きい人は、肘や肩、手首に胸の靭帯などを傷つける可能性がかなり高いことになります。

 しかし、腕立て伏せを10回1セットで、一日の間に一時間おきくらいで8セットやることにすると、傷める可能性はだいぶ減ります。

 全然負荷の総量が違うではないか、という意見が出て当然でしょう。

 だったら、一時間に一度、10×2セットにするか、20×1セットにすればどうでしょうか。

 もし、体重が60キロの人なら、腕立て伏せの負荷は恐らく40キロくらいに持ってゆけます。

 それを、20回やれば一時間での負荷は40×20で800キロ分です。

 これで、80キロのダンベルを10回挙げたのと同じ数字を動かしたことになります。

 それを一日かけて八回やれば総重量は同じです。

 詭弁だ。という声もあるでしょうが、これ、実は最新のフィットネス理論でもあり得るとされていることなのです。

 それでは持久系の筋肉になって、瞬発的な力が付かない。という抗議もでるでしょう。

 大丈夫。

 ベンチプレスで、ウェイト・ベルトやボディ・スーツ、リストガードを着けてやってても、その力はついていませんから。

 装具があって機械に対するという状況でだけ使える力です、ついているのは。

 それよりも、腕立て伏せのほうが絶対にトータルの力は付きます。

 筋肉が付き、神経系の発達による筋力が伴います。

 しかも、持久力のおまけまでついたらいいことだらけではないですか。

 さらに言うと、実は20セットも10セットもやる必要はありません。

 5セット。

 やってもせいぜい7セットで充分です。

 大切なのは、運動で筋細胞を殺すということそのものではなくて、運動による負荷を定期的な物として、身体に対して「日常はこういうものですよ」というメッセージを送るのです。

 それによって肉体は適応を始めます。

 そんなことがあるのか? と思われる方もいらっしゃるでしょうが、こちらの動画を拝見されてみてください。

 https://www.youtube.com/watch?v=9KZxH2lpJCI

 

 これは、私が師父をしている蔡李佛拳の練功風景です。

 動物のように移動をする訓練をしています。

 これ、楽に見えますでしょうが、20分もやらされれば私は吐きそうになるほど疲労します。

 なぜ、それが身体に障害を与えなくてウェイト・トレーニングは障害を与えるのか、というと、これは元々人間という動物の肉体がこのように機能する物として作られているからです。

 霊長類の骨格および筋肉の構造として、四つん這いになったり立体に四肢を使って移動することは織り込み済みなのです。

 重い物を持って何度も上げ下げすることはそうではない。

 そのために、この動物の運動を行うことで肉体は関節障害を起こしにくいし、適応するのも早い。

 ルーツはヨガにあると言いましたが、動物の動きを模倣するというのはヨガや気功の原点です。

 吐くほどやってはいけませんが、ほんの少し疲れる程度の四つん這い運動や立体に自重を運ぶ運動をすると、もともとそのために備わっている筋肉や骨格が、身体が育ちたがっているように成長します。

 そのようにして身体を使っている状態を習慣化させ、さらには睡眠前に少しの食事を摂ると、身体の中にある動物の時代の生活習慣が正しくサイクルします。

 狩りをして、獲物を獲って、食べたら寝る。

 生物の身体と言うのは元々そのように出来ているらしいのです。


トレーニングの頻度と強度

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 トレーニングは、まとめてやらずに分散して日常化させると身体が早く適応するので良い、ということを書きましたが、それでは毎日やらないといけないのか、と受け取れてしまいますかと思います。

 そのペースでやると、恐らくは負担が大きすぎます。

 鍛える場所を分散させるにしても、体力そのものが低下してしまって免疫力の低下などが起きかねません。

 基本、トレーニング日は週に二日で良いのではないかと思っています。

 というのも、個人差はあるそうなのですが、筋トレ後の筋肉の回復に必要な時間は48時間から72時間と言われていますが、ポイントはこれはあくまで筋細胞の復旧に必要な時間。

 つまり、関節の軟組織や腱の回復にかかる時間ではありません。

 それらは回復が遅いので、このペースでやると炎症を起こし、いずれ慢性的な関節炎や腱鞘炎になる可能性が高い。

 そこで四日以上は間隔をあける。となると、週に二日ペースとなります。

 すでに身体がだいぶ出来ている人なら、鍛える場所を散らせばOKだとは思います。

 とはいえ、これでやっていていずれ身体が出来てきたなら、あとはひたすら回数を増やすべきなのか? という疑問がわくかもしれませんが、そうなったら種目そのものを追加するか、あるいはより上位の互換種目に変更します。

 例えば、腕立て伏せなら膝つきから始めて、普通の物。それに慣れたら腕の幅を変える。または指で行う。

 あるいは、上下運動だけでなく、それをするときに前進したり後退したりという移動の要素を加えてみる。

 前の記事にあげた動画の動物歩きがこれになります。

 元々自重を移動させるために身体は設計されているので、この方法を取ると身体の発達には著しい物があります。

 映画「300」で屈強なスパルタ兵を演じた俳優さんたちが、身体づくりのためにこれをやらされている風景が、DVDのメイキング・ディスクに収録されていました。

 これをしながら片手、片足を一つづつ外してゆく訓練をして、最終的には片手だけで腕立て伏せが出来るようになれば、その肉体を弱いとか使えないなどと言うボディ・ビルダーはいなくなることでしょう。

 少林僧の十八番の奴です。

 このような、トレーニングの頻度と漸進性に関しては、コンヴィクト・コンディショニングのポール・ウェイド先生の書籍に教えられました。

 それまで、武術の先生から何十もの練功法を習っていたのですが、それらの組み合わせ方を知りませんでした。

 すべてを並行してやる必要はありません。

 負担と回復のバランスを取りながら、その時の自分の段階に必要な物を選んでゆっくりと練ってゆくことにこそ奥義がありました。

 これをウェイド氏は「メニューからミルクを搾る(収穫する)」と表現しています。

 

 

大江戸バーリトゥード

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 さてさて、少し前まで、ボクシングの歴史について書いていましたが、実は江戸時代にボクサーが日本に来ていたという話があります。

 中里介山先生の「大菩薩峠」は、江戸時代を舞台にしたお話ですが、そこに西洋人のレスラーが出てきます。

 酔っ払いの水夫でどちらかというとコミカルなキャラクターなのですが、確かに水夫というのは荒くれ者の代名詞であり、あるいは海賊であったりするので、フェンシングやレスリングをやっていてもなんら不思議はありません。

 さらに言うと、当時のボクシングは剣やステッキ術を含めた総合武術なので、さぞ沢山のボクサーが当時の日本にも来ていたことかと思われます。

 その中で、記録に明確に残っている物として、ペリー提督の黒船に乗っていたという物があります。

 このお話は、私が住んでいる街の記録である「横浜市史」にあります。

 黒船の威嚇外交によって圧倒された江戸幕府は、嘗められないようにと力士を派遣して「日本のコメを大統領に贈答いたします」と運ばせませす。

 この時の力士たちというのは、当時の最上位番付にいた小柳関を始めとした選良。

 彼らは船に食料を運ぶという体裁でいかにもアジア的、そして武術的な駆け引きをします。

 これは、同じころの中国で列強の外国人たちがいる前で革命武術家の人たちが「練!」と叫んで様々な兵器の練功や離れ業の功を披露して威嚇していたことと同じですね。

 それに比べれば日本の力士というのは穏当な態度でやってきたので、はじめはペリー提督らもただの太った人足だと見て「太った牛だ」などと侮っていたそうなのですが、力士たちは米俵でお手玉をしたり、身軽な物は米俵を抱えたままトンボを切ったりして見せたというのでこれにはさすがに米兵たちも度肝を抜かれたそうです。

 しかし、威嚇しに来た方が驚かされて帰る訳にもいかない。ペリーはあくまでも親善試合として彼我を戦わせることを提案します。

 それに対して力士の側は、三体一でも負けはしないと高言して変則マッチを行うこととします。

 この一人というのが先にも書いた大関、小柳常吉。170センチ150キロというから当時としてはとても大きかった。

 相手となったのはレスリングのチャンピオンだったというウィリアムという水夫と、もう一人レスリングのブライアン。そして、ボクサーのキャノンという三人。

 確かに小柳関の150キロは大兵肥満ではあるものの、身長では水夫たちの方が勝っていたようです。

 この三人の内、キャノンが殴りかかるのを小泉ははたき込みで倒して足で踏みつけ、組み付いてきた二人の内、ウィリアムの首を掴んで抱え込んだというからこれはおそらく閂でしょうか。

 またブライアンの方には、まわしよろしくベルトを掴んでは足を払ってそのまま釣り上げたというから圧勝です。

 この黒船が来航したのは1854年と言いますから、クイーンズ・ベリー・ルールが制定されるより11年前。

 ボクシングはレスリングも含み、蹴りも目つぶしもある総合武術です。

 このような荒くれボクサーがアジアの各地で試合をしていたそうで、現地の猛者に敗れて行った結果、各地で禁武政策が出て代わりにクイーンズ・ベリー・ルールによる拳だけで戦う現在の形式が生まれたというのですから面白い。

 確かにこのルールの上に、一対一ですらない状態で戦ってこのありさまなのですから、彼らがアジアの武術を恐れて今日に至るまで敬意をしめしているのも無理もないお話です。

 それに対してアジアの側は?

 政策と経済力に敗北し、自分たちの伝統を捨ててスポーツ化を進めて、大切な物を失くしていってはいないでしょうか?


 

 

 

 

 

 

 

 

道のり

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 最近、MOROHAの曲をラジオで聴いて、改めて衝撃を受けました。

 いや、YOUTUBEで観た時にはまぁいつものMOROHA節だなくらいに感じていたのですけれど、しっかり聴いたらやはり刺さります。

 今回聴いたのはこちらの曲となります。

https://www.youtube.com/watch?v=sGbTErAWHcM

 

 

 これは、20年くらい前の私の気持ちにとても似ています。

 一言一言に、言った覚えがあるように感じます。

 ただ目的は違ったので最終的には着地点で齟齬は出るのですが、それでも世界を変えたくて、とにかく必死になって戦っていた。

 本気しか要らないし、本気でない人間には何のようもありませんでした。

 そういう部分はいまに残っています。

 いまの私はもう、自分と言う物に対してそこまでの情熱は無くなってしまいました。

 師父の導きのおかげで、色々な執着を捨てていってます。

 しかし、拘って必死で生きていた頃のことを恥じる気持ちはありません。

 少なくとも、本気を得られたというのは大きかった。

 人間は、生きてるだけで幸せだし、目的のために生きるのではない。

 それを教えられて、いまもその実践の途中に居ます。

 しかし、目的を見失うと戸惑います。

 弱い。

 果たしなく弱い。

 弱くなると力や知性が乏しくなります。

 そのような時に、ただ善意の方を向いていたい。

 迷うほど、分からなくなるほどせめて誰かに対しての善意を行いたい。

 おそらくそれだけは、間違いではないはずだと思います。

 あるいはそれは、哲学や論理による力を失っているときにただ祈りにすがっているような物かもしれない。

 それでも、基底に善があるということは、自身の存在において重要なのではないでしょうか。

 ただ生きていると言う、それだけで十分に満たされる。

 その在り方を保とうとしながら、今日も迷い、歩いている自分を今一度痛感しています。

伝統的なグリップと腱

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 最近、グリップ・ワークを始めました。

 と、言っても、おなじみの握力を鍛えるハサミ状の道具を使ったり、ゴムボールを握ったりはしていません。

 古典的な身体操法におけるグリップ力というのは、いわゆる力でぎゅうぎゅう握りしめる物とは少し感覚が違うのです。

 よく、力の弱い子供や女の子が強く何かを握るとこのぎゅうぎゅう握りをやります。

 文字通り、内側に向かって肉を締める握力の発揮です。

 これを、ある日本古武術では「素人握り」というそうです。

 そうではない玄人握りとはなにかと言うと、私は古武術時代に「引っ掛け」と「なじみ」だと習いました。

 この引っ掛け、中国武術では抓力、あるいは把抓力と言うと聞いたことがあります。

 これを鍛えるのは、鷹抓功という練功法で、多くの中国武術に伝わっているように思います。

 また、少林拳の原点である物の名前は心意把。ここにも把握の把という言葉が出てきます。

 これらの「素人握り」ではない力のポイントというのは、握らないことです。

 引っ掛けたり、力の圧を馴染ませたりはしますが、ぎゅうぎゅう握りしめてはいないように思います。

 では、そのタイプの力を鍛えるグリップ・ワークとはどのような物かと言うと、拙力で握りしめるのではなくて、一定の圧で掴んだ物を維持するという練習をするのです。

 これは、フィリピンの秘伝武術、モンゴシでも習いました。

 沖縄空手でもやる、力石やカーミとそっくりのことをするのです。

 いま私がやっているのは、タオル・ハングという物です。

 やり方は簡単。鉄棒や梁にタオルを引っ掛けて、そこにぶら下がるだけです。

 おそらく、普通の体格の成人男性ではほとんど不可能でしょう。

 私も片方の手はバーを持ち、片方でタオルという初心者向けの物からやっています。

 これ、レスリング時代に推奨されていたロープ昇りの簡易版です。

 体育館にぶら下がっていたロープを掴んで昇ってゆくという物なのですが、いや、ほんの一瞬でさえも体重を維持できたことはありませんでした。

 これを可能にするのは、ぎゅぎゅう握りしめる力ではなくて、なじんで維持する力であるようなのです。

 まだまだ私は初心者レベルなのですが、それでも明らかに成果は出てきているようです。

 手指を司るのは前腕なので、これをやると前腕が太くなってゆきます。

 中国武術家の持つ印象的な太い前腕です。

 うちの師公は、信じられないような太さの前腕をしていました。

 これが太いということはすなわち抓力が強いということなのですが、別に相手を掴むためだけに鍛えているのではありません。

 以前、掌を鍛えると足の裏の感覚が強くなって立つのが上手くなると書きましたが、同様に抓力を鍛えると足の裏の抓力に至るまで、全身を通るラインが強くなるのです。

 ぶら下がって頭の高さまで両足を持ち上げるハンギング・Vレッグレイズという運動をしても、手指からの力が繋がって全身を操作するという感覚が強くなります。

 この感覚で、他のなにをしても強く出来る。

 ただ、先ほども書いたように、指をつかさどるのは前腕であり、その前腕の中にある腱です。

 この腱はとても披露しやすく傷つきやすい。

 何かの拍子に攣りそうになったことのある人も多いのではないでしょうか。

 なので、そういう張りを感じ始めたらもう練習は終了です。

 先三日ばかりはもう指を使うようなハードな練習をしてはいけません。

 完全に腱が回復するまでお休みです。

 腱というのは、中国武術に独特の力、勁を通る主要なラインの一つです。

 腱を使うからと言って勁ではありませんが、腱はケーブルのような物で、太く強くなっていると、それだけ大きな勁が通せます。

 前に開いた整体名人の整体ワークショップでは、最初に指の腱を使う練習を教わりました。

 この腱の力を使うと、相手の身体に力が通りやすいというのです。

 それは、練功をしていなくても一定量の勁が元々腱の中にいくぶんか通っているからではないかと思われます。

 柔術でも、これを用いて技を掛ける。

 これは、恐らくプリミティヴな動物の力なのではないかと思うのです。

 元気なゴールデン・レトリバーなどがはしゃいで体当たりをしてくると、当たり自体はガツンと硬くはないのですが、その力がふわっと自分をゆすってきたというような経験をされたことはないでしょうか?

 ゴールデンの身体はふわふわで痛くはありません。

 でも、何か柔らかい力が身体の中に入ってくる。

 これは、おそらく同様の力の使い方によるものなのではないかと思われるのです。

 伝統的なグリップ・ワークは、人間が動物だった時代の行動を模倣することで、本来備わっていた動物的な力の使い方を引き出すことを目的としています。

自分の言葉

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 ある、有名女優さんがラジオで話しているのを聴きました。

 大手事務所のオーディションでグランプリを取って、国民的な若手女優としてもう二十年近くやってきた有名な方です。

 そのキャリアのため、大物の印象があったのですけれども、話している口調はとてもフレッシュな感じで、まるで最近メディアに出始めた女性のような感じだったで意外に思いました。

 しかし、その後の話を聴いて納得した物です。

 というのも、彼女は子供の頃からラジオが大好きで、ラジオで話すお姉さんになりたかった、というのですが、15でデビューして自分で番組を持てるようになったのは良い物の、非常に違和感があったというのです。

 大手事務所の看板女優ということで、いい加減なことは喋れず、自分の役割をまじめに果たそうと一語一句にすごく気を使っていたのは良いと思うのですが、どうやら生来のマジメさとプレッシャーが入り混じってしまったらしく、マネージャーさんに一言一言を相談してダメ出ししてもらうような形で話していたそうなのですね。

 そして、ここからが面白いところなのですが、そうして話しているうちに、その話す言葉に見合った感性にもその感覚はさかのぼっていって、とうとう自分が何をどうかんじる「べき」なのかというところまでに至ってがんじがらめになっていったそうなのです。

 それは、とても苦しいことだったと彼女は言っていました。

 それが八年続いて、担当のマネージャーさんが変わったときに、いつものように自分が話すことを書きだして一語一句チェックしてもらおうと思ったところ新しいマネージャーさんに「そんなことはしないで自分の思ったことを話せばいいよ」と言われたのだそうです。

 その時に初めて、彼女は自分が自分を見失っていたことに気が付いたのだといいます。

 しかし、すでに自分が誰なのかがもう彼女の中ではうまく見いだせなくなっていたのだと言います。

 その後、彼女は長期の休みを取って、一人で外国に行ったのだそうです。

 そこで、ほとんど言葉も話せない環境で、自分が誰かを知らない人たちの中にいるうちに、改めて他人と自分の言葉で話すと言うことを再構築する経験をされたそうなんですね。

 それを通して彼女は、自分の言葉で話す、ということをとても自覚的に確立されたようです。

 だから、彼女の言葉は、とても生き生きとした感性があり、良くも悪くも少し未成熟な感じさえする新鮮さがありました。 

 時折感じるたどたどしさのような物は、ちゃんと自分で自分に向かい合いながら出てきた言葉なのだと思うのです。

 人間を、バカにする方法として言われているのが、自分の言葉で話させないことだというのを聴いたことがあります。

 そうすることで、感性と思考が薄れて、支配されやすい人格になってゆくのだと言うのです。

 私にも縁が深い川崎市で、ヘイトスピーチに対して実刑を求める方針で自治体が動いています。

 私自身、ヘイトスピーチをしてるようなヤツなんて、完全に頭がどうかしちゃってる奴で、惨めさを他者攻撃に転化するという嫌になるくらい凡庸な精神の薄弱さを改善するためにさっさと医者に掛かるべきだと思うのですが、この自治体の方針が、変に先手を取るような形にならないかという危惧を感じてもいます。

 後から罰を与えるのは良い。

 しかし、発言を封じるような方向に行くべきではない。

「アヴェンジャーズはいつでもやり返すだけだ」

 というのはアメコミ映画の中でヒーロー同士が正義の方針を巡って口喧嘩をするシーンのセリフですが、恐らく公正さというのはいつでも後手に回らざるを得ない。

 事前に当たりを付け、監視し、制御するのは支配であり、そこから民族や性、その他多くのマイノリティに対する差別が始まるのではないでしょうか。

 いつも後手に回るのは効率のよいことではありません。

 しかし、効率を中心とした工業主義が、歴史上差別や多数による暴力を生んできたのでは?

 一人一人が自分の言葉で話すというのは、効率と逆行するところがあります。

 自分の言葉には責任が伴います。

 愚かな発言をした人が「馬鹿かお前は」「黙れクズ」「それがお前の人間性か恥知らずの低能が」「惨めな奴だな、親の顔が見たいぜ」などと石を投げつけられるのは、個の責任の元に行われることだと思いますが、初めから口を閉ざさせるのは非常に危険なことです。

 言葉を探す努力を辞めると、気づけば自分の中に言葉が無くなっていることがある。

 言葉が無いところに、既製品の借り物の言葉を当てはめると、本来はそこからはみ出る感覚があったはずの物が取りこぼされてゆきます。

 本当は、そのこぼれるところが自分自身の言葉であって、それを表現するために思考するところが自分と言う物を作ってゆくのではないでしょうか。

 言葉を封じることは、自己の確立を阻止します。

 自分自身で自分に責任を持つということを学ぶのも、自分の言葉で話すところから始まるのではありませんか。

 そうして叩かれたり躓いたりして、言葉を自分を洗練していく。

 それでこそ、本当の人間性が確立されて、そういった人々によって社会が構成されてゆくと、とても成熟した世の中が作られてゆく気がします。

 日本社会は、これまでそれとは真逆の物を作ってきたように思います。

 鬱屈した人々の多くは、みずから自分の言葉でない借り物の言葉を大喜びで拾い集めて、身体の中に押すとそれを言うスイッチがあるかのように連発している。

 同じアニメを見て、同じタピオカを飲んで、同じパチンコを打って同じ言葉を発している。

 それは本当に言葉?

 鳴き声との違いは?

 あるいはただの音との?

 初めに言葉ありきと聖書にはあります。

 自分の言葉というのは、人間の魂が決して無くしてはならない物ではないでしょうか。

お勧めの練功

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 今朝、いつものルーティンをしようとしたところ、前腕の腱に張りを感じました。

 まだ前にやった腱のトレーニングの疲れが残っている。

 これでは、前腕に負担を掛けるような運動はしないほうがいい。治ってからでないと逆効果です。正しい成長が叶いません。

 そこで本日はプッシュ系の予定を変更して予備のトレーニングにシフトしました。

 やったのは、その場でゆっくりつま先立ちをしてゆっくり戻るカーフレイズと、ブリッジです。

 これに例のロープハングを加えると、中国武術の入門者にはお勧めしたいメニューとなります。

 ロープハングは手の腱を鍛えて、カーフレイズは足の腱を鍛えると言います。

 そしてブリッジ、鉄板橋は脊椎の柔軟化と強化に役立ちます。

 つまり、これをすると手先から足先までの身体の一列の繋がりが鍛えられる。

 それも、ただの筋肉ではなくて腱や脊椎と言った重要な場所がです。

 脊椎自体はただの骨ですが、その中には他には換えがたい神経があり、髄液が循環しています。

 言い換えれば脳の一部であるとも表現できる重要な部分です。

 少林拳の根幹である、易筋と洗髄がこの三つのキャリステニクスでは期待できます。

 これらは、急激に成長させようとすると傷つきやすいデリケートな場所です。

 正しいやり方で時間を掛けてやってゆくのが良いでしょう。

 見よう見まねではなくて、きちんとした指導者の元で習うのがいい。

 または、コンヴィクト・コンディショニングのやり方にのっとって少しづつ。

 そうすると、半年後、一年後には明確な変化が訪れていることでしょう。

 日本で多くの中国武術修行者が何も獲得できないのは、練功の仕方を教わっていないからです。

 扱うべき身体を持っていないのに、情報ばかり無差別にため込んで頭でっかちになってしまっている。

 だから既存の出来ていない素人の身体でタイミングや体重移動や瞬発力を扱って中国武術の真似をしようとする。

 それではいつまで経ってもたどり着くとは思えません。

 まずは、使い物になる身体を獲得しないと。

 上の三つの練功をで身体を作り変えると、力の感覚が体感できるようになります。

 その流れを体内に持っていると、それをどう使うのかとか、そこに何を流すのかというレベルの話が出来るようになります。

 経絡の活性化という言葉に置き換えてもいいかもしれません。

 体内の経絡を自覚するには、腱や神経と言う元々強く力が働いているところの感覚を活性化させられると、とっかかりにしやすいということではないでしょうか。

関節の柔軟さについて

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 毎日運動をして身体を育ててゆく中で、どうしても身体が固まるということがあります。

 筋肉や靭帯、腱などが強くなる過程で硬直する場合があるのでどうしても避けられません。

 それを放置しておくと、柔軟性の無い強張った身体になりやすい。

 そんなの平気だよ、とケアをしなくても生まれつきグニャグニャに柔らかいという人も居ますが、結構な確率で前にも書いた過剰運動症であったりします。

 物理的に柔らかいと言えば柔らかいのですが、自律神経の問題から来ているだけで、実は怪我をしやすい危険な柔らかさだったりします。

 身体が柔らかい、というのはスポーツ界ではちょっとステータスとして評価されがちですが、これには非常に不確かな部分があります。

 見た目の印象からくるすごさで威圧しているだけで、実際は能力的優位にあるとは限らない、というのが今回のお話です。

 先天的に股関節が柔らかいような人の内、過剰運動症が原因である場合は、股関節脱臼を起こしやすいので実際には強い力を使うような運動はできません。

 無理を推して練習をしていると、深刻な障害を引き起こす場合があります。

 身体が柔らかくてバッグの中に入ることが出来る芸が売りだったある人は、現在ではそこから神経を患ってマヒ状態で過ごしているというのを見たことがあります。

 股関節は脊椎の神経と近いので非常に危険です。

 私の場合は同様の問題があったのは肩なので脊椎からは離れていたのですが、物理的に脱臼をしやすいという危険を抱えていました。

 最近はあまり聞きませんが、昔はよく、顎が外れやすいという人の話を聞きました。

 顎関節の問題は神経に影響が大きく、精神疾患と繋がりやすいので非常に危険です。

 人格障害っぽいなあという人を見てみると、結構な確率で顎関節が歪んでいたりします。

 これは神経面に原因がある可能性があります。

 その原因の一つに、過剰運動症は含まれる。

 極端に柔らかいというのは、極端に硬いというのと同じで実はあまりよくはないというのが私の見解です。

 これはコンヴィクト・コンディショニングのコーチのポール・ウェイド先生も同じ見解を著述していました。

 

                                                                        つづく


柔軟伝説の嘘

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 一般的に「関節の柔軟さは怪我を防ぐ」という考えは浸透していることです。

 それが思慮の浅さから「柔らかければ柔らかいほど良い」という発想に至ったのだと思われます。

 この説の支持者が引き合いに出すのは、脱力をして転ぶと柔らかくなっているので怪我をしない、というレジェンドです。

 はっきり言って、これは間違いです。

 この説の支持者が持ち出す例に子供と酔っぱらいのケースがありますが、子供が転んだときに大人より怪我をしづらいのは、単純に自重の軽さと高度の低さが原因の多くを占めているものではないでしょうか。

 とはいえ「身体が柔らかいから子供は怪我をしにくい」という説には一つ別のパターンにも見覚えがあります。

 十歳くらいのころ、とんぼ返りの真似事をしていて足の小指を痛打したことがあるのですが、絶対に折れていると思った小指は折れていませんでした。

 理由は、成長過程の子供の骨は柔らかいので、大人の硬い骨よりも折れづらいということでした。

 私の小指は、折れずに曲がっていたのです。

 これは「子供の身体は柔らかいので怪我しづらい」の一例かもしれません。

 でも、骨は関節ではありませんので、関節の柔らかさとすり替えてはいけません。

 あと、曲がるのも怪我かもしれない。痛かったし。

 酔っぱらっていると身体が力んでいなくて柔らかいので怪我をしづらいという嘘に関しては、ポール・ウェイド先生が著書の中で否定しています。

 なぜなら、週末の病院には大量の転んで怪我した酔っぱらいが運ばれてくるからだ、と彼は行っています。

 もし信じないという人が居たら、大量にアルコールをあおってベロベロになってから雨に濡れた非常階段を駆け降りてみればよろしい。

 どれだけ関節が柔らかくても、関係なく頭を割ったり骨を折ったりするでしょうから。

 結局のところ、関節の柔軟性というのは可動域の範囲が適正であるかどうかというお話です。

 関節を脱臼する場合、可動域というよりも元々その関節が曲がるように出来ていない方向に曲がるから外れるのです。

 知恵の輪と同じです。外れる方向と外れない方向がある。

 なので、柔軟体操において重要なのは、可動域の中での柔軟性となります。

 生来持っている可動域が劣化して曲がらなくなっているとしたら、それは問題です。

 年をとると関節が石灰化してそのようになることが多いと言いますし、身体を健康にするためのトレーニングで疲労や炎症を招いて結果関節の稼働を阻害するというもの。

 ストレッチは、それらを防ぐと言う視点から行うことが良いように思われます。

 ウェイド先生曰く「曲芸師の柔軟性は必要ない」。

 靭帯や腱を傷めてまで可動域を過剰にすることは、一般の運動家には不必要な物であると思われます。

柔軟さと武術

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 身体の柔らかさに関する誤解について書いてきていますが、ここでもう一つの誤解について書きたいと思います。

 それが、動きの柔らかさについてです。

 もっとも愚かしい勘違いが、関節の柔らかさと動きの柔らかさの混同です。

 この二つは、ほぼまったく関係がありません。

 どれだけストレッチをしても、柔らかい動きが出来るようになるわけではありません。

 柔らかい動きというのは、動作そのものから生まれます。

 特に、武術に関してはこの誤解が多い。

 さらに言うなら、柔らかい動きというのは別に無力な状態であれば良いと言う物でもありません。

 このことに関して、ある老武術家は動きの柔らかさには四つの物があると分類していました。

 それは、硬、軟、剛、柔です。

 硬と軟に関しては、純粋に物理的な物です。

 硬は硬く固まった状態。軟は単に無力で力の無い状態です。

 もっと言うと、これは素人の状態です。

 剛柔に関しては話が違って、剛というのは力強いけれども固まっていない状態。

 柔というのは、柔らかいけれども無力ではない状態です。

 硬軟のレベルを超えて、剛柔に至るのが武術における進歩だとこの先生は主張していたように記憶しています。

 個人的な解釈を加えるなら、硬というのは一定の力が加わるとポキっと折れてしまったり割れてしまったりするような、弾性の低い状態。

 軟というのは紐や完全に静止している時の水のような状態。

 対して、剛というのは強い勢いで流れている時の水のような角は立っていないけれども圧のある状態、あるいは、太い丸太のような状態。

 柔というのは、それらが形を変えて力が途絶えることの無い状態だという気がします。

 うーん、剛と柔がほとんど同じになってしまった。

 この解釈でいうと、脱力しておいて突然力を込めて固める、というのは単純な素人力となります。

 これは老先生も同じように言っていたように思います。

 対して、剛柔は、剛の中に柔を含んでいて、柔の中には剛が含まれるので、明確に区切られるというよりも一つの物の比率の違いであるように思われます。

 そう考えると昔から言うように、剛柔は一つの物であるように考えられます。

 決してまったく違う物ではない。

 ここに、中国武術的な考えを入れるなら、それは力の長さなのではないか、という気がします。

 硬軟は瞬発的な区切れる力なのですが、剛柔は力が途絶えていない。

 中国武術の言葉で言う、長勁となります。

 これは逃げても止めても長く続いて浸透してくる力となるのですが、この力は別に関節の柔らかさとは関係がありません。

 さらに言うと、動きの柔らかさとも関係が無い。

 これは力の柔らかさです。

 どうも柔らかさと言う言葉が出てくると、思考停止をして頓珍漢な思い込みにはまり込んでしまう運動家があまりに多いようなのですが、この辺りは明確に区分しないと、目的地にたどり着くことが非常に難しくなるように思います。

ポジション・トーク

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 偶然、ある東南アジア武術の有名な欧米人先生のインタビューを目にしたところ、大変にショックを受けました。

 フィリピン武術の世界では有名な人で、先人として敬意をもっていたのですが、内容が嘘ばっかり!

「シラットの危険な技を無くしてムエタイは作られた」とかめちゃくちゃなことばかり言っている。

 元々、ねつ造流派出身の人だったので、実際に現地研究をして考えが改まっているのかと思ったら、逆に上書きのねつ造ばかり口にしていました。

 はては「東南アジア武術のルーツはなんだと思いますか?」という質問に対して「私だ。あちこちで教えたからね」と応える始末。

 おそらく、こうやってジョークではぐらかして商売を成立させてきたタイプなのでしょう。

 ナイスガイなのでしょうが、信頼できる人間だとはとても思えませんでした。

 きっと、そのばがたで自分に有利なことを冗談めかしつ喧伝し、不利なことははぐらかしてやってきたのでしょう。

 こういう人がした、自分のビジネスに有利なことだけを発言したのが、のちの誤解に繋がっています。

 前田日明選手の「自分は武術家だ。試合は演武だ」という発言や「世界最強はロシアの売春婦」などのように、無責任な放言は、愛嬌の皮をかぶりながらその実、非常に採算至上主義のポジション・トークでしかないように思いますが、代々武術家というのはそういうタイプの人が多いと思われます。

 実際、前田先生本人も「武術家はみんなほら吹きなんだよ。それでいいじゃない」と言っています。

 それはさ。

 ずるいよ。

 大人の手口なんだろうけど、それが扇動だし、数に物を言わせた権力者のやり方だっていうのは明白じゃない。

 そういう人が、真実を捻じ曲げていってしまうことは、武術の歴史の上でも内容の上でも、誰のためにもならないと思うんですよ。

 それで喜ぶのは、安全なところで甘やかされて、自分のエゴを粉飾するためのごっこ遊びとして武術や格技に取り組みたいオタクだけではないでそうか。

 そういう人たちの懐を当てにして、彼らのビジネスは成り立っているのでしょうから、これは生存のための方法に過ぎないと言えるかもしれませんが、あまりにも悪影響が大きいように思います。

 マイク・タイソン、アントニオ猪木、ピスけん、大山倍達総裁、確かにその手の人たちはいつでもどこにでもいたのでしょう。

 彼らの職業は「興行師」であり、グレイテスト・ショーマンの考え方で生きているのでしょう。

「どれだけ本当のことがばれても、カモはどんどん生まれてくる」というバーナムの考え方で生きているのでしょうけれども、いやはや、罪が重すぎる。

 我々はすでに、現実の歴史に関与している武術家や、ゲリラ戦の大家の武術と言った本物に触れてきてしまっています。

 その考え方が当たり前になっているところで、同じ感覚で上にあげたような「流れ者の興行師」を受けてしまうと、大変なことになってしまいます。

 両者を見極めて、真実を見極めるために、しっかりと原点を当たって物を学んでゆかないと。

今後の予定 随時更新

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7月21日 日曜日

 

 一月ばかり雨が多かったので、関内練習会の前に特別練習会を行います。

 大通り公園にて、14時からとしたいと思います。

 希望者はご連絡下さい。

 一般      3500

 功夫班    3000

 アルニス班 1500

 

 18時より 

 関内駅徒歩五分フレンドダンス教室さんにて

 

 一般    3500

 事前予約 3000

 

 

 

7月28日 日曜日

 

 11時より 関内大通り公園にて。

 

 一般      3500

 功夫班    3000

 アルニス班 1500

武術の二つの流れ

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 口八丁手八丁の、流れの興行師武術家のことを書きましたが、こういう人はおそらく、ずっと昔、それこそエジプトでボクシングが生まれた時代からいたのではないかと思うのです。

 だからこそ、ローマ時代にはボクシングが残酷ショーとなって禁止される羽目になったのでしょうし、近代フランスではボクシングは八百長だと言って廃止されたこともあったのでしょう。

 以前に書いた、タイで御前試合をした流れのボクサーたちなどはまさにこの手合いでしょう。

 その結果、西洋ボクシングはアジアでは勝てないのでそれまではルール上ありだった蹴りや投げを禁止し、グローブ着用というルールを設定することでリアルなスポーツになったのだと言う先生が居ます。

 また、そもそも格技は初めから神事、祭事の側面を持っていてショーとして披露することを前提としていた部分が大きく、八百長からスタートして徐々に真剣勝負という発想が生まれて行ったのだと言う演劇起源説を取る人もいます。

 確かに、盗人と売春婦と並んで、兵士と神官は非常に古い職業でしょうから、兵士の行うリアルな軍事を起源とする武術と、神官の差配する見せることを前提とした武術の二つの流れがあってもおかしくありません。

 私が使う言葉で言うと、前者は武術で後者は格闘技と狭義での使い分けをすることが多いのですが、英語だとどちらもMartial Artsなので非常にわかりにくくなります。

 この、後者の流れの人たちが、自分たちをマーシャル・アーティストだと名乗ると、日本ではどうしても武術家という解釈になってしまいます。

 しかし、競技者や流れの興行師をそう呼ぶのは私にはどうも違和感があります。

 これは恐らく、私たちがやっていることが彼等の「武術」とまったく違うからだと思われます。

 現在私たちがやっている蔡李佛拳とアルニスは、明らかに前者の物なのです。

 功夫の話をしますと、この流れは明の時代に明確に区別をするよう厳令されたことがあります。

 ここでもよく話にでる「大倭寇」事変の時に、清朝を率いていた戚継光将軍が、兵士を指導する武術家に対して「花拳繍腿(みせかけ)の武術を教えた物は死刑とする」と言っているのです。

 これは、すでにその当時、中華においては興業武術が盛んだったということを示した言葉だと言われています。

 しかし、そういった興業武術家が売り込んできた場合、人の命と国の存亡を預けるにあたわずとして命を取ると告げているのです。

 こういった興業武術家は、明が滅んで清の時代になってからは外から流れ込んできます。

 当時の武術家の武勇伝によく出てくる、イギリス人ボクサーやロシア人力士(レスラー)と言った人々です。

 タイを追放されたボクサーたちも、、その後中国に渡っていたかもしれません。

 この人たちは西洋文明の価値観でやってきていて、良くも悪くもお互いに飯が食える試合をしに来ているのでしょうが、現地の武術家と言えばマジの人達です。

 本物の土地の名士や思想家、軍隊関係者と言った人たちなので、時々大変なことになります。

 どさくさに紛れて反則の殺人技を使い、レスラーを殺してしまった武術家の話などが残っています。

「スポーツマンシップ」という概念がまだ無い文化なのだから恐ろしいものです。

 アルニスの世界では、木刀や真剣を使った興行試合が行われており、やはり時に死者が出ることもあったそうです。

 この文化の流れが、大戦後にバハドという決闘試合に引き継がれて、現在隆盛している多くのバハド系エスクリマの原点となっています。

 それに対して、ゲリラ戦のエスクリマという物も別にあり、そちらの流れは実に質朴で華がないためか、いまひとつパブリシティを得ていません。

 私は二つの流派のグランド・マスターから教えを受けたのですが、一つはご当人が現役の軍人で練習二日目には「明日は拳銃の練習をする」と言ったくらい「生の戦闘の術」としてこれを指導しています。

 もう一つはの流れはライトニング・サイエンフィック・エスクリマというスタイルで、フィリピンのゲリラ活動の中で生み出されてその後米軍に指導されていた物です。

 こちらも生の刃物を持って、驚くほど地味な練習をします。

 初代の先生はいまだご存命だそうなのですが、これはプライベート・テクニックだとして現在では宣伝をいて指導はしておらず、自宅で一握りの縁があった人達にだけ教えていると聞きました。

 私の二人のGMはその先生の生徒です。

 こういった、質朴で実のある技術を行い、その活動も実直で見世物ではないという武術家の流れがあります。

 私はその系統にいます。

 蔡李佛拳にもいろいろなタイプがありますが、うちは太平天国の時の調練の系統で、かなり地味な方に属しています。

 高名な中国武術家というのは、本来そのような人々です。

 李書文も黄飛鴻も、董海川も大刀王五も、そのような歴史と政争の中で実際に戦って来た人たちです。

 見世物の興行試合をしていた人たちではない。

 民国以降は洋化が進み、中国武術家にも試合で暮らしのたつきを得る人々が目に付くようになってきます。

 中国武術家同士が遺恨から新聞上で議論を交わし、最後にはリングの上で興行をするというような、ほとんどプロレスのようなことまで行われています。

 ちなみにこの試合、最後はお互いに反則技を出し合って周囲が乱入、ノーカウントというおなじみのことになっています。

 現実世界はWWEではありません。

 軍人や宗教家が試合で紛争を解決したり、三角関係を試合で清算しようとしたりということはしません。

 現在、日本で武術として行われている物の多くは、上辺だけの武術ごっこをしていたい人たちを中心にしたある種のコスプレ的な物であるように感じています。

 その流れは、大昔から続くこの興行武術の文脈の上にあるのでしょう。これもまた、人類文化として必要な物です。

 それと生の本物、ただのマジな奴を混同すれば、悲喜劇と混乱しか起こらないでしょう。

 お互いに自覚をもって住み分けをしていきたいと思っています。

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