伝統思想の下に生きる者として、現代社会をどう見ているかということをずっと書いてきました。
キリスト教世界における神の死と、実存主義、東洋思想の関係を書くことから初めて、世界史上における少林武術の姿などについてここまで語り続けてきたのですが、その立場からするといまのトランプさんの政権について書かないといけないと思ってきました。
ただ、私は常に自分のことなどどうでもいいので論にしか興味がありません。
トランプさんがいいだ悪いだ言う気はびた一文ない。
ただ論として世界情勢を見て、その陰陽の気の働きを感じ続けているというだけです。
そしてそれについてここでいつも通り文を書いてゆくことになるわけです。
ただ、トランプさんについて書くには、アメリカの歴史を語ってこないといけません。
それくらいに彼は非常にアメリカらしい、興味深い現象です。
アメリカと言うのは、我々蔡李佛拳士にとっては第二の故郷のようなところです。
というのも、太平天国の乱の後、多くの拳士がアメリカに落ち延びて苦力と呼ばれる労働者になったからです。
彼らが鉄道のレールを引いて、アメリカの開拓は発展しました。
鴻勝館の始祖である張炎先生は、サンフランシスコに移住したと言われています。
そのアメリカの歴史を書くには、ヨーロッパの歴史から書かないといけません。
ヨーロッパの歴史と言うのは、すなわちキリスト教の歴史です。
最初の頃に書いていたことに振り返るようなことになりました。キリスト教における神の死よりさらに昔から話をしてゆきましょう。
清教徒革命です。
中心人物となるのはマルティン・ルターです。中学の授業で習いましたね。モロティン・デターとか言って遊んでいた記憶があります。
彼は、当時ローマ法王が売り出していた免罪符に反対活動をした人物です。
免罪符というのは、どんな悪いことをしても教会が販売している護符を買えばチャラになると言うマジック・アイテムです。
そんなものがあれば世の中は悪に満ち満ちてゆくのは当然です。
ではなぜバチカンはそんなことをしていたのでしょうか?
それは、大聖堂を建築していたからです。
そのための資金作りなんですね。
赤川次郎先生がエッセイで書いてましたが、ローマに行って贅沢な美術品を見て喜んでる観光客なんて馬鹿だと。あんなの、魔女狩りと戦争でさんざん虐殺をして財産を略奪してきたという証拠なのにというのです。
その贅沢のための悪事の一つがこの免罪符です。
ルターはそのようなカトリックを否定して、キリスト教にとって大切なことは二つだけだと主張しました。
一つは教会権力は聖書とは関係ないので、聖書に書いてあることだけに従えばいいということ。
もう一つは、現世的なことではなく祈ることだけが神に通じる道だということです。
この主張は非常な説得力を持ち、平民のみならず地方領主たちにも支持されました。
ルターはバチカンから破門されたのですが、ドイツの貴族たちは彼を庇護しました。
その下で彼は、聖書のドイツ語訳を始めます。
それまでは聖書はラテン語かギリシャ語の物しかなかったので、ヨーロッパの知識層はみんなラテン語を学ばないといけなかった。このラテン語=学問の基礎というのはいまでも残っている風習ですね。
しかし、ルターがドイツ語の聖書を出版したため、ドイツでは平民でも聖書が読めるようになりました。
こうなると、ラテン語で聖書を読み聞かせるのが商売だったカトリックの聖職者たちは飯の食い上げです。
それどころか、聖書を自ら読み始めた民衆の知的レベルが急激に向上したため、社会構造の変革運動が始まってしまいました。
これ、1500年代のことです。
19世紀に神が死ぬ前に、一回ここで人類の精神革命が起きかけてるのです。
ドイツの人民たちは自分たちで読んで解釈した聖書の思想を元に、反乱戦争を起こすのです。
つまり、太平天国の乱のドイツ版なんですよ。
こうなると、貴族のお抱え思想家になっていたルターとしては立場が無くて、貴族たちと一緒に反乱の鎮圧に回ります。
そうすると、鎮圧した土地では、カトリックに代わった農民にさらになりかわって領主が直接教会を采配することになります。
この結果、ドイツ国内では領地によってカトリックの土地とルター派の土地が分かれるようになりました。
これによって勢力が弱ることを恐れたバチカンは、ルター派をカトリックの一派として認める懐柔政策に出ます。
このころ、オスマン帝国が攻めてきていたのでバチカンとしては味方が必要だったのです。
しかし、後にオスマンの侵略を乗り越えたバチカンは掌返しでルター派を否定します。
これをきっかけにルター派とバチカンは全面抗争状態に入り、旧来のカトリックと清教徒という二つのキリスト教が明確に分化されたのです。
つづく