「ロックとは音楽ではない。態度だ」
これはある映画の中の言葉です。非常に含蓄がある。
私も同じことを功夫に関して思っています。
「功夫とは戦い方ではない。生きる姿勢のことだ」
この映画の中でロックの師匠の言葉を聞いた弟子たちは、それはどういう態度かと訊きます。
すると師匠は答えます。
「偉そうなやつに逆らう態度だ」
実はこのロックの心得こそが、アメリカの精神です。
イギリスで暮らしにくさを感じていたWASPの皆さんは、新大陸に入植を始めました。
東海岸から上陸して、必然的に西に向かって自分たちの領土を広げてゆくことになるのですが、そのやり方と言うのはまず先住民からの巻き上げです。
作物の作り方や製品の加工の仕方を教えてあげながら、かたやで当時の先住民が土地が誰かの所有物であるという考え方が無かったことに付け込んで子供のお小遣いみたいな値段で土地を買いたたいてゆきました。
さすがにどこかの段階でネイティブ・アメリカンも抵抗してきます。
そうなると正面対決です。
そもそもの家主から暴力で略奪してゆくわけです。
奪った土地で彼らは綿花農場を開いていました。それによって貿易をし、最新の火器で武装しているのだから大変な強みがあります。
人間の数も彼らは買い揃えます。
以前倭寇の記事で書いたように、このころはオスマン帝国の力が強く、その領海を通過することが難しかったためにアフリカを通る海路が発展しました。
アフリカ人を奴隷として調達し、アメリカ大陸に売ると言うラインはそれによって生まれた物です。
WASPの人たちはそういった農奴を自分たちの土地に投下し続けて、人員と資本を拡大してゆきます。
もちろん、WASPはプロテスタントです。その教義の中に、それまでの世界的な権威であったバチカンへの抵抗が含まれています。
イギリスの社会に抵抗して国を飛び出しています
新大陸に来ればマジョリティにも抵抗して土地を奪ってゆきます。
ロックの魂がある訳です。
そのロックの魂がやがて国と言える基盤を獲得すると、不穏な気配が生まれてきます。
当時、アメリカはイギリスの領土でした。
アメリカ大陸のほとんどはスペインの領土で、ブラジルはポルトガルの領土、ジャマイカはイギリスとスペインが取り合いをしたりしていました。
そういう帝国主義がキリスト教圏の当時の当たり前だったのですね
当然、イギリスはアメリカ大陸での領土争いへの巨大な足掛かりとしての役割を合衆国に期待していました
しかし、そこはロックの国です。
彼らは国づくりをしながら、着々とイギリスからの独立の足固めをしていたのです。
そのために有利な法配備を次々してゆきます。
例えばイギリス軍から正式に任命された軍隊の他に、民兵という物を設定してゆきます。
これは、国から棒禄をもらっている職業軍人以外に、民間人も武装して訓練を積み、有事には軍隊として戦えるという物です。
国内には無数のネイティブ・アメリカンがおり、すぐ南にはスペインの軍隊がいる。
そのような環境において、このような民間人による武力の設定は非常に有意義な物であったはずです。
しかしもちろん、真の狙いはイギリス軍そのものです。
18世紀後半、アメリカはイギリスと独立戦争をします。
当時のアメリカというのは、東海岸がわのわずか13の州でしかありませんでした。
全土掌握より先にイギリスをロックするのです。
この戦いには、他にもいくつかの勢力が参戦しました。
イギリスのライバルであるフランスは当然アメリカをバックアップして兵士を参戦させます。
ニューヨークにある自由の女神は、そのフランスから寄贈されたものです。
黒人種は、フランス領ハイチからフランス軍として参戦した人々の他、アメリカ軍として従軍した人たちも当然いました。
さらに、イギリス側もまた黒人奴隷を所有しており、そちら側で戦地に送られた人々もいました。
ネイティブ・アメリカンはイギリス側に着きました。
こうして地獄のような戦争が行われた結果、アメリカは独立を勝ち得ました。
自治権を手にしたアメリカを担うことになった合衆国の初代大統領が、英国との戦いで兵を率いてたジョージ・ワシントンです。
戦中、彼はバージニア州の民兵団の大佐に任命されており、ネイティブ・アメリカン軍団との激戦を勝ち抜いてきた人物です。
こういう、中国での三国志のような出来事があってアメリカ合衆国というのは独立を勝ちとったのです。
つづく