前回はアメリカがまだ全土を併呑しないうちにかなり見切り発車でイギリスから独立をしたことを書きました。
1783年にパリ条約が認められて、正式に独立が国際社会で認められました。
これが成立するまでは二国間戦争ではなくて叛逆だという扱いだったので、イギリス側に捕らえられた捕虜は捕虜扱いされずに犯罪者として処罰されることになってました。
その裁判を担当していた貴族が、サンドウィッチ伯爵だというのはちょっとしたトリビア。ハムサンドを食べながらアメリカ人兵士を殺人犯扱いにしていたのだ。
しかし、パリ条約にて制式にアメリカ兵士は革命軍人と認定されて捕虜交換の対象になった。
この時の話し合いをパリで締結したからパリ条約なんだけど、このころのフランスと言うのは実に忙しい。
この四年後にフランス革命が始まって、仏軍の皆さんが今度は二つに分かれて戦うことになったのです。
このページで最初に「神の死」と東洋哲学の国際社会への普及について書いたときに、フランス革命から始めたのですが、それはこのフランス王の権威を民衆が剥奪するということが、王権神授性の破壊を意味するからです。
神の権威から人間が自由になって、人文主義が始まる第一歩がこれです。
なので、それに先駆けてアメリカが神ではなく人民のための国を作って百周年の時に、フランスは「民衆を導く自由の女神」を送ったわけですよ。キリスト教をモチーフにした像ではなく。
この、キリスト教の支配からの人類の独立というのが、最初にエピソード0で話した清教徒革命からのテーマなわけです。
だってね、それまでは世界で一番の権利を持った人っていうのはローマ法王なんですよ。
国を越えて権力を持っているからね。
でね、国で言うとバチカン。もっと言うとローマ。つまりイタリアですよ。
世界最強の国、イタリア―? イタリアってこたないでしょ。ギリシャとかイタリアとか地中海気質の連中を世界のリーダーに据えとくのは危なっかしい。
だからちょうどオスマン帝国が力をつけてきてイタリアのガードが甘くなったときに、次世代のリーダーを狙っていたヨーロッパ諸国は色々画策したんですよ。
その中の一つが、アメリカを盛り立てて大国にしたて上げることだった。
だからフランスは同じ反カトリック勢力として力を貸したんですよ。
案の定、アメリカはその後どんどん力をつけて世界のリーダーになりましたね。
その中で、神の支配を颯爽と離脱したフランスは間違いなく同等かそれ以上の国になるはずでした。
しかし、ポカをしちゃうんですよ。
それが第二次大戦周りで、ドイツが神への信仰をスライドさせた鉄血工業帝国を作って世界侵略に乗り出した時に、負けちゃうだけならまだしも尻尾を振ってナチ政権を作っちゃうんだよね。
その政権、ヴィシー政権というフランス最大の恥部によって、彼らは勝ち逃げをし損なってしまった。
ライバルのイギリスに借りを作ってしまう結果が出来てしまいました。
それまでは、神に囚われていた旧弊のイギリスと、人間主義の先進国であるアメリカとフランスって構図だったのに、ナチの国っていう看板を打ち立ててしまった。
これは痛い。
この結果、アメリカ独り勝ちの情勢、まさにキャプテン・アメリカの時代が始まってしまうのですけど、それは20世紀の話。
次回はまた戻って独立後のアメリカ、開拓時代についてお話ししましょう。
つづく