さて、ドラキュラのお話を引き続き読み解いてゆきましょう。
前回は彼の実像を描きましたが、今回はなぜその彼が奇妙な行動をとったかを分析したいと思います。
ブラム・ストーカーによって「吸血鬼ドラキュラ」が書かれたのが1897年。そして、このページ的に非常に重要な人類文化の転換点である神の死は、これより前に行われています。
ニーチェ先生が生まれたのが1844年。ドラキュラ出版より50年も前です。
その著書「ツァラトゥストラはかく語りき」が発表されて「神の死」が声高に叫ばれたのは1885年だそうです。
つまり、神の死がアツアツの時代であったことがうかがえます。
このタイトルが、ほとんど実在のツァラトゥストラとは関係ないにも関わらず、中東の拝火教に由来した名をしているところに意味があるのでしょう。
キリスト教的な神がプロテスタントの登場でかなり勢力を弱められ、ついには資本主義に成り代わられて死んでいった中で、ニーチェ君は東洋思想を研究していたわけです。
信仰が死に、世界が広がって哲学が求められていった、ということです。
小説の中を研究している人によれば、ドラキュラ公はブカレスト辺りで戦死のち、吸血鬼になったと解釈をするべきだそうです。
これは現実的には、当時オスマン帝国との戦争があって多くのヨーロッパ人が中東付近まで従軍していた結果、東欧の伝説であった吸血鬼の話を持ち帰ってきたという歴史が下敷きになっていると最近では言われています。
そのようにして英国に移住してこようとするドラキュラに対して戦うのは、ロンドンの精神科医、その師匠であるオランダ人の教授、そしてテキサスのカウボーイです。
これ、前に書いたアメリカ史シリーズを読んでくださったかたならピンとくると思われます。
オランダ人とテキサスのカウボーイ(お金持ち)というのは、ヤンキーとディキシーのことなんですね。
つまり、新しい時代のイギリスが、同じ思想を共有する人々と共闘して、東からくる新しい価値観と対立するというお話なんですね。
ここでポイントとなるのがその戦い方が武力でではないということです。
いや、実際には最新式の銃器で武装したりしているのですが、それ以前に吸血鬼と戦うのはルールなんです。
小野不由美さんが「吸血鬼って弱点だらけでよわっちくて可哀そう」と言っていましたが、そういう弱点のルールを解析して戦うという現代でいうジョジョの奇妙な冒険ルールなんですね。
つまり、信仰でも武力でもなくて相手のことを理解してルールを活用しないと勝てない。
ドラキュラの方も、不動産手続きをしたりしてルールを守ってせめてきます。
これが面白いところで、死ぬ前はゲリラ戦だし捕虜や死者を虐殺したりと一切敵に対してルールを守らない人だったのですが、味方に対してはとてもルールに厳しい人だったそうです。
特に男色の禁止には厳しかったと言います。
と、言うのも彼の裏切った弟の美男公なんですが、なぜ彼が裏切ったかというとオスマンとの使節をしているうちにスルタンと出来ちゃったんですね。
つまり、ドラキュラ公が捕虜のトルコ兵を肛門から串刺しにして晒すというのはそこに対する当てこすりの気配があるんですよ。
そういう、もともと規律に厳しい人だから吸血鬼というルールに縛られたキャラクターにされたのかもしれません。
最終的にこの規律正しいルール合戦で主人公側は犠牲者を続出させながらも勝利するのですが、これこそまさに、布教という名の侵略ではもう通じなくなった時点からの、英国の国際法を振りかざした侵略政策姿勢を象徴しているのではないでしょうか。
そしてこの姿勢こそが、英国からその部分を抽出してより濃厚にしたアメリカのグローバナイゼーション政策の予兆であるように思います
そう思うと、ブッシュJRまでのワールド・ポリス路線からオバマ路線に落ち着いてゆき、いまのトランプ政権になって元の野蛮ともいえる白人優位主義に戻りつつある中で、キリスト教原理主義に懐古しつつあるというのは、納得のいく陰陽の転換であるように思います。
ちなみに、ドラキュラというのはドラゴンの子であると言う意味であると同時に、キリスト教圏ではドラゴンはただの強力なモンスターではなくて誘惑者であるサタンを意味するニュアンスもあるそうです。
だからドラキュラと言うのは、武力ではなくて誘惑者として常に悪魔の契約書にサインをさせようとしてくるのかもしれません。
その悪魔の誘惑攻撃に対して、キリスト教的信仰ではなくて、心理学や資本力の現代的なパワーで戦ったという姿勢をアメリカが学んでいれば……というようなことも少し考えてしまいます。
19世紀という強力な転換期、西洋圏の人々は実に力強く信仰に代わる理性や哲学という物に向き合っていたようです。