フィリピン本土でのエスクリマは、大きく言うと三つです。
一つはスペイン剣術の要素の強い伝統家伝系の物。
これがもっとも古い時代の、19世紀までの前提の上に出来ているスタイルです。
その後の物が、バハドと言われる決闘用のエスクリマ。
このスタイルの物がフィリピンでもっともメジャーなスタイルの物です。
カコイ・ドセ・パレス、バリンタワックという二大潮流はこのタイプになります。
一対一で戦い、刀剣ではなく棒であることを最大限活用します。
投げ技や関節技も大いに発展しています。
決闘の多発地帯であったセブ島、バリンタワック通り辺りにルーツがあります。
ちなみに同じ名前のバリンタワック通りがルソンにもあるのですが、それはまったく関係ありません。
そのルソンのエスクリマは、ゲリラ戦の物として発展してゆきました。
カリス・イラストリシモやエスクリマ・ラバニエゴなどがこれに相当します。
フィリピン内戦、大二次大戦などの間に訓練、実用をされていたものです。
なお、現代でもフィリピンは内戦が普通に起きており、このゲリラ戦用の訓練というのは現役で想定されており、まったく風化した概念にはなりえていません。
私も最初に習ったときに、ピストルとナイフの戦い方を教えると言われて「いや、伝統の方を中心でお願いします」と言ったものです。
この辺りの地域性と時代性によって、各派は技術の配合が変わってきているように見えます。
セブのカコイ・ドセ・パレスなどはいまでもバリバリ現役の決闘用エスクリマをしているようですし(バハド自体はもう何十年も行われていないそうですが)、同じバハド・エスクリマでもバリンタワック系ではナイフの技術を取り戻して何か護身術的な物に活用しようとしている面も強いようです。
もともと、バリンタワック・セルフ・ディフェンス・クラブと名乗っていたくらいで、これはドセ・パレス系がフェンシング・クラブと名乗っていることとはちょっと対照的で面白い。
このようにしてセブのバハド系は、バハドの時代に築かれた技術を土台としてその発展をしているようです。
逆にバリンタワック以前のセブの伝統流儀は、古典の剣術の動きを持ちつつ、バハド用にアップデートして技術を拡張したという歴史があります。
我々、ラプンティ・アルニス宗家はそのような流派として行われている物です。
正式名をラプンティ・アルニス・デ・アバニコと言うのですが、このアバニコと付くアバニコ・アルニスの流れというのがミンダナオからセブにかけての古典剣術の流れのエスクリマの一群です。
偶然私が学んだ派はその後、ルソンに持ち帰られてそこでゲリラ戦武術化したという非常に面白いブレンドになっております。
これらの地域と時代のブレンドを基に、次回は技術についても触れてみたいと思います。
つづく