師父から教わったことによると、武術としての段階は気功で言うなら小周天までで十分。
そこから先の段階では武術は無くていいようです。
だからうちに練習に来てくれる皆さんには数年でそこまでを学んでいただいてあとは旅立ってもらう予定なのですが、どうも小周天まで行けなそうな人がかなりの確率でいます。
気功はいい加減な取り組み方や間違ったやり方をすると心身に病を発生させるので、それまでの武術の練習で適性を見ています。無理そうだったらやらせない方がいい。チャレンジしました頭がおかしくなりましたではよろしくありません。
私はたまたま、昨年大周天まで行けたので、これからは武術の範疇の外の、よりタオや禅、気功の部分を学んで行きます。
大周天になった段階で形式として私の武術はおしまい。来年は年始に蔡李佛の部の卒業試験を受ける予定でいます。
そのようなこともあって、自分の強い弱いだ勝つ負けるだ他流が何しているだと言った自分にとってはどうでもいいところにはこれまで以上に一切かかずらわないのですが、前から書いているようにフィリピンに行って現地の拳法、モンゴシを持ってくる仕事が一つあります。
ちなみにモンゴシはだいたいこんな感じ。
https://www.youtube.com/watch?v=viRNkdV0V-Y
https://www.youtube.com/watch?v=PtLMwRjgeUU
グランド・マスタルはこれは功夫なんだと言っていたのですが、どうも洪拳が土着化して我らがラプンティ・アルニスのマノマノ(徒手)になった物なのかなあという印象を受けています。
ラプンティ・アルニスに中国武術を持ち込んだのは蔡李佛の先師なので、あるいはそっちなのかなあ? 蔡李佛も洪拳から出来ているのでどちらであってもおかしくない。
いずれにせよ、小周天までの内容を含んだハードコアの蔡李佛を体得するまではいけなそうな人が非常に多いので、このように簡化された物を学んで力の流れの方向などを感じ、タオと呼ばれる気(力、あるいはそのベクトル)に則って生きることを学べたなら良いというのがこれを持ち込む意図です。
まぁ、グランド・マスタルが「次に来た時やるのはこれだ」と言ってくれたのが直接のきっかけではあるのですが。
そこであれが嫌だこれがいいだ言わないでそのベクトルに乗っかるのがタオに則るということだと思います。
して、まぁこれで私が自分で自分のために学ぶ物と、人のために持ってくるものは明確になったので、よりもう武術はおしまいだと思ってました。
そうなると今度は、タオや法、禅、気功その物をより直接学ぶ段階です。
小周天は内気功と言って自分の内側の気のことを学びます。大周天は外気功と言って自分の外の気について学んでゆく段階です。
我々の南派少林拳は当然仏門の物なので、禅と仏教を根本としています。あまり知られていませんが、禅とは仏教の考えとタオが融合されて生まれたものです。
なので、私は禅や仏教についてより学べる場所を探していました。
日本のお寺では、仏教と気功を並行して学べるところはどうも多くない。
どうもいろいろな人に聞くと、インドではすでに多くの行が列強時代に弾圧されて秘伝化されて隠されたり失伝していることが多いのだそうです。
そうなると、その分、保存されているのがどうやらチベットだそうで。
インドから伝わった小乗仏教が、そのまま保存されていて残っている行などが多いのだそうなのです。
私たちの蔡李佛拳にはラマ拳法ともつながりがあるようなので、これはかなり良さそうな方向です。
しかし、それとはまた別の方向が引っかかってきてしまいました。
それはタイです。
前に東南アジアについてここで勉強した時に書いたのですが、タイというのは歴史上ずっと外国の侵略をはねのけ続けてきており、イスラム教にもヒンズー教にもなっていない異例の国です。
そのタイの国教が仏教であるということはつまり、ずーーーーーっと仏教の行が保存されている可能性ががあるということなのです。
もちろん、中国のお寺で禅と気功の行を学ぶというのが一番ストレートなのですが、どうも私のように気の流れはおおよそ分かることがあっても経穴の学問的素養が無い人間には、中華的教養主義で細分化されてかつ肥大した中国気功学は恐らくまだ難しすぎる。
それよりも、より古い部分の原点を掴みたい。それが分かったらその上で複雑な物は学ぶかどうか考えればよいと思ったのです
また、うちに練習に来てくれてる方に腱引きという療養法の先生がいるのですが、その人からタイには同様に体内の線に作用する治療法があると聞いたのも大きかった。
その方法は仏教医学で、お釈迦様の主治医だった方が編み出した物だそうです。
仏教医学と気功、治療法、瞑想などを学ぶにはその流れの所に向かうのが適切であるようでした。
なので、次の目標がタイの仏教医学と定めた訳です。
来年は時間が出来次第向かってみようと思っています。
と、思っていたらここに至ってまた一波乱起きました。
その波の名をフォンジューンと言います。
だいたいこんな感じ。
https://www.youtube.com/watch?v=raO9jyL5XGA
これは、完全に中国武術、そしてラプンティ・アルニスにそっくりです。
途中で出てくる徒手の部分は、以前に体験したモンゴシとそっくり。
おそらく中国武術が伝わったんだろう、と思って調べたらしかり。どうやら雲南省の人々が移住した時に持って行った中国拳法であるそうです。
雲南省には大理国という国があり、そこの人々は傣族と言う中国の少数民族で、一言で言うとタイ人です。
彼等が起こした国なので、タイと呼ばれるようになった訳です。
とはいえ、この武術、フォンジューンが伝わったのはタイでは北に当たるチェンマイのラーンナー王朝で、全土を統括していたスコータイ王朝の属国でした。
となると、これが南に進んでインドネシア辺りを経由するなりダイレクトに海を越えてフィリピンに渡った可能性は低めであるように思います。
それよりも、洪門拳法として珠江を渡って広東か福建に渡り、フィリピンに別の形で伝わったと考えた方がありそうな話です
というのも、いわゆる南派拳法というのは反乱結社の武術として同盟を取り合いながら伝播していた歴史があるためです。
また、蔡李佛と言えば太平天国の看板武術ですが、その太平天国と呼応して雲南でも回族武術による反乱が起きていたそうで、ここでも反乱結社のネットワークが垣間見えます。
そのような中で、雲南の傣族武術が反乱結社の珠江沿いのネットワークで伝播したのか、あるいはおおもとの洪門武術が傣族に伝わったのではないでしょうか。
北少林から南少林の流れを考えると後者の可能性が高いように思いますが、雲南に回族武術があることを考えるとそれが一度北を経由して嵩山少林寺に行った物だとしてもおかしくない。
やはり仏教においては、哲学と行、気功、武術は基本的に備わっているものなのです。
そのため、タイの仏教医学へとタオの流れをたどったら、見事に同じ血を引くであろう武術に遭遇しました。
現在この武術は行う人が少なく、後継者は求められているようです。
これは……。よし。十万円のスーツは後に回ってもらって、私が会いに行った方がタオの流れに則った生き方ではないでしょうか。
武術、中々終わらないなあ。
でも、この何百年も前からあった流れの道を、この国ではこれまで誰一人辿って踏み込んでいなかったのですから、それを見つけてしまったら滅びるままにはさせておけない。
少なくとも蔡李佛とラプンティ・アルニスを知る学究の徒としては、自分が回収して次に伝える役を目指してゆこうと思います。
こういうのがね、タオに生きるということだと思うのですよ。
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