現在、フィリピンに到着しております。
前回は飛行機から降りて数日は頭痛がうっすら残っていたのですが、今回はそういうこともなく。
ただ、日本にいた時からの夏疲れが、気功学で言う処の暑邪が入ってしまっていて、渡航直前はもう倒れこむようにして休日に入ったものでした。
これは外仕事をしている人間として毎年そのようなもので、これでもそれまでよりはずっとましなほうです。悪い時は毎日夕方には熱中症で頭痛を起こしながら帰宅していましたから。
今回はこちらに来てから気功をしててきめんに回復しました。
まぁ何より気温は31度くらいで、暑いですけど今年の日本の夏ほどではありません。あと一日中野外で仕事してないし。
気功というのは、本来は無理をするための物ではありません。
環境に適応しつつも、苦しくない居やすい環境を求めて移動できる感性を磨くことが大切です。
猫がいるところがそこらへんで一番居心地がいい場所だというあれです。あの猫の感性を磨くのが気功です。
そうすることで肉体への負担を減らし、命を消耗させないで生きてゆけるようにしてゆきます。
しかし、ここで必ず問題になるのが偏差や魔境、禅病と言った症状です。
気功で居心地が良くなれるようになるのは良いのですが、自己催眠を掛けて自分を夢の中に導いてしまう人が非常に多いのです。
瞑想状態というのは、最近の医学では睡眠と覚醒の間の状態だと言われています。
そのために、起きたまま夢を見るようにして、意図した幻覚の世界に身を置くことが気功や瞑想では出来てしまいます。
そうなるとこれが心身のバランスを崩すもとになります。
感覚の鋭敏さが外の世界に向けられているか、自分の欲求だけに向けられているかの問題なのかもしれません。
自慰的な自己愛の強い人は、自分自身に自家薬中毒を起こして人格障害的な状態になってしまうことがあります。
カルトの中にはわざと瞑想中に言葉で催眠をかけてそのような状態に誘導し、洗脳を行ったりするそうです。
そのために、気功や瞑想には哲学が必要になってきます。
確固とした信念をガイドラインとして、仮に深層心理の欲求が形になって感じられてくるようなことがあっても「んな都合のいいことある訳ないだろ。これが例の迷妄ってやつだな。信じやしねぇよ」と思える心は絶対に必要なのです。
正統な中国武術では必ず気功を行います。
気功で心身をリラックスさせて内側から力を引き出し、感性を磨くのです。
しかし、それを行う過程でこのような危険なところを通らなければなりません。
昔からこの国では、まともに心身を鍛えない逃避性の強い人間や、なぜか以上に自己愛の強い人間が中国武術に集まってくると言われています。
おそらく、そのために真伝が何十年も伝えられて来づらい状態が続いたのでしょう。
練習の中で人の資質を見て、この人格なら大丈夫だろうと認められた人間だけが危険な道を通り抜ける手引きを受けられます。
現在、日本では太極拳やヨガが非常に普及しています。
あれらも本来は瞑想としての面が強い物です。
やっていて狂ったという話が少ないのは(もちろん聴かない訳ではありません。ただ人口に比率しては少ない)、やはり先師方が奥の道へ至る道に入る人を、厳しく選別しているからでしょう。
私も最初は多くの人に中国武術の本当のことを手渡したくて伝えていたのですが、あまりに多くの方が自狂の質であることが