今回のフィリピンでは、本当に町の雰囲気が変わっているので非常に驚かされています。
一日一回は雨が降るためか、足元が悪くてヘドロのようなにおいが常にしているのは相変わらずなのですが、本当にきれいになりました。
ホームレスの姿はほとんど見なくなり、ストリート・チルドレンは一度も見ていません。
また、重火器を持っていた警備員さんも減っていて、拳銃に武装レベルが下がっていました。ショットガンを持っている人は一人しか見ていません。
やはり、ドゥテルテ大統領の思い切った政策が目に見える形で影響をもたらしているのかもしれません。
街角の屋台もきれいになっていて、バロットを一度も見ていません。
たった二年でここまで街の雰囲気が変わると言うのは驚きです。
そして、エスクリマドールを一人も見ていません。
以前は練習場所の公園に行くと、何人かの練習をしている大人や、サッカーボール感覚でバストンを持ってきて遊んでいる子供がいたものですが、今回はまったく見ていません。
これは、もしかしたらクリーン化と共に姿を消してきつつあるのかもしれない……。
というのも、エスクリマはもともとフィリピンでは決して印象が良いものではなかった。
20世紀にはゴロツキのやるものだと思われていたという話を色々なところで耳にしました。
それには、決闘流行りで突発的に路上で抗争を繰り返していたバハドのエスクリマの影響もあるとは思うのですが、より決定的なのはゲリラ戦における影響なのではないかというところがあります。
これまで、当流がそうなのでゲリラ戦のエスクリマについては色々書いてきましたが、そのゲリラそのものについては殆ど書いてきませんでした。
フィリピンは、ずっと外国の支配を受けてきた国です。
彼らの国歌「最愛の地」には、そのような歴史が反映されています。
♪
最愛の国 東洋の真珠
心に燃やし続ける熱情
選ばれし国 勇者たちの眠る土地
いかなる征服者たちにも屈せず
海 山 空
詩の如き壮麗さを放ち
愛しき自由への歌を奏でん
汝の御旗は勝利への輝き
決して曇ることの無き星と太陽
栄光と熱情の地
汝の腕の中に天国はあり
汝を脅かす者あれば
喜んでこの命をささげよう
いかがでしょう。中々の物でしょう?
現地の人々の中には、このように身近に自由への闘争と言う物が前提としてあるのですね。
それだけゲリラ戦が盛んであったことが分かります。代々の剣士の家に生まれた人々やバハドの決闘士たちよりも、ゲリラとして訓練を受けたエスクリマドールの方が数としては多かったことでしょう。
もちろん軍隊武術というのは簡略化された使いやすい物になるので、精妙であったり複雑だったりする部分はどこの国でも薄くなるのですが、刀剣を使う武術の一般性としてはそれで充分だと言えるでしょう。
このゲリラの人たちの組織の内、以前にも書いたパンパンガ州から発祥した組織、フクバラハップにまずは目を向けてみましょう。
この名前は抗日人民軍という意味のタガログ語だそうです。
彼らは第二次大戦時に、日本軍および現地の領主階級への闘争を開始しました。
日本軍からのマニラの奪還を果たそうとするアメリカは、彼らとの協力作戦を展開しましたが、しかし奪還成功後、今度は幹部たちを逮捕して支配力の独占を図りにでます。
弾圧されたフクバラハップは大戦後もフィリピン共産党と結びついて反米姿勢を取り続けます。
共産主義とだけは相いれないアメリカとの抗争は落としどころをみることなく激化の道をたどり、最終的にはフクバラハップは政府の打倒に迫るまでに至ります。
時の大統領キリノは和平交渉に努めたのですが、その結果、フクバラハップ内で穏健派と過激派が二分化されて、そこから過激派による独立組織、人民解放軍が生まれます。
それをきっかけに、ゲリラの堕落が始まってゆき、大々的に悪名をふりまくことになります。
つづく