以前、倭寇の記事をシリーズで書きました。
そこでオスマン帝国の隆盛によるヨーロッパの海域が閉鎖されて、それが原因でアフリカからアジアまでのルートが開拓されて行ってすべてが始まったと書きました。
新しいルートでアジアまでやってきた西洋の船団はマラッカまでは来た物の、そこから東は明国の海域で海禁政策によって入れなかったために、そこで抜け荷を行っている海賊、すなわち倭寇と呼ばれた者たちと結託して貿易をおこなったのです。
そのために倭寇は世界経済を一手に引き受けるほどの存在に成長し、日本にキリスト教と鉄砲をもたらし、また日本の銀を世界中にもたらしました。
それほどまでに経済への影響力を持てば当然彼らは発展して膨れ上がります。
日本の長崎から「東南アジア」に至るまでの海域は、彼らの一大帝国となりました。十六世紀のことです。
この辺りのことは以前に書いたのですが、こののち、十七世紀には同じ海域に国姓爺こと鄭成功という大英雄が現れて海賊王の地位を継ぎ、かつ明国を滅ぼさんとする清朝に対して一大抗戦を繰り広げますが、最終的には台湾を自由の民、海の民、反清復明の国として遺してゆきます。
その清朝というのが結局は西洋列強の侵略を受け入れ、崩壊して中華人民共和国に後塵を譲ってゆくことになるのですが、その西洋のアジア進出の尖兵として「東南アジア」形成の土台を作った人物がいます。
その人の名前はトーマス・ラッフルズ。
そう、あのシンガポール建国の当事者であり、ラッフルズ・ホテルでも有名な、騎士爵、サー・トーマス・ラッフルズです。
彼は19世紀初頭の人物で、14歳の時にイギリス東インド会社に入社してマレー半島に訪れました。
この東インド会社、およびオランダ東インド会社がありますが、これ、中国の歴史の授業で習ったときには分からなかったのですが、そこらの中小企業のようなただの労働集団ではありません。
というか、会社と言う物がそもそもなんだったのかというようなことに対する理解の目が開くような存在です。
このころの「会社」というのは極端に言うと、土地を持たない一つの国です。
自主的に集まって計画を立てた一群がベンチャーで当時の彼らにとっては「誰の物でもない」地域に進出してゆき、そこで貿易によって経済的な成功を収めるや自国の女王あるいは王様に朝貢し「我々はこの辺境を開拓したのですがこの土地を陛下に捧げます。よって領主として認めていただけますでしょうか?」とお伺いを立てて、陛下がポンとハンコを押すやその土地の地方領主になってしまうという人たちなのです。
日本においては坂本龍馬の亀山社中が最初の会社であると言われていますが、これを知ってみるとその存在と目的が見えてきますでしょう。
彼らは会社であるがゆえに、日本を徳川一家から分捕って新しい勢力図下に置くことを計画していた訳です。
PMC(私設傭兵会社)が勝手に他所の国に攻めて行ってそこをそ乗っ取っては自国に勝手に認可させてその土地の小王になっているのだ、というと分かってくるでしょうが、ある種の軍閥だと言っていいと思います。
ただ、軍事力を表看板にせず、経済力による闘争を展開しているのだ、と書くと会社というものの本質が見えてくるのではないでしょうか。
そうすると、これが今現在も世界中で起きていることだと思います。
かつてバブルの時代に、日本経済の発展に対してアメリカがあれだけヒステリックに「これは経済戦争だ」と反応していたのは
、彼らにとっての会社というのがそのようなものであるためです。
自国の内側でそれだけの利益を生む日本企業というのは、国を乗っ取りに来た軍閥と同じだということです。
この問題は、いまもトランプ政権において非常にホットなトピックです。
国際問題における「経済政策」というのもこの文脈上において観ると非常にわかりやすいのではないでしょうか。
つまり、海賊海域の黄昏というのは、海賊武術と砲撃による闘争が会社による経済活動に取って代わられた歴史だと言ってよいかと思われます。
つづく