フィリピン再訪・2
台風が去った日曜日、いつもの日曜日のクラスに向かいました。 早朝からだと聞いていたので七時前に練習場所の公園に行ったのですが、誰もいない。 練習場所変わったのかな? と思って公園の中であちこち探したのですが結局誰もおらず、しばらく待つことに。 八時くらいになってようやく、昨日も稽古をつけてくれたマスタル・ロドンハが来てくれました。...
View Articleフィリピン再訪・3
実は、日曜日にセルケルでマスタル・ロドンハに稽古をつけてもらった帰り、当時まだグランド・マスタルと渡りがついておらず、どうすればモンゴシが持って帰れるかの相談をしながら歩いていました。 すると、他の練習をしているグループの前を通った時にマスタルが向こうの先生とあいさつをした。 私も紹介してもらったのだけど、これが実はマスタル・レイ・レヴェラと言ってモンゴシの先生でした。...
View Article海賊海域の黄昏・1 中国辺りと言われていた場所
本日は練習中休み日です。 こちらに来てからなるべくフィリピンに関係する本を読みたいと思っていたのですが、そのうち一つが白石隆氏の著書「海の帝国 アジアをどう考えるか」です。 京都大学で教授をされている方の新書です。 これが非常に面白い物でした。 アジア経済の解析をする本なのですが、そのためにまずは歴史をさかのぼって東南アジア史をなぞってみよう、という本です。...
View Article海賊海域の黄昏・2 会社というもの
以前、倭寇の記事をシリーズで書きました。 そこでオスマン帝国の隆盛によるヨーロッパの海域が閉鎖されて、それが原因でアフリカからアジアまでのルートが開拓されて行ってすべてが始まったと書きました。...
View Article海賊海域の黄昏・3 ラッフルズによる創作
前回は会社組織によるアジアの食い荒らしについて書きました。 ではなぜそのようなことが可能だったのでしょうか。そんなに西洋にとって食べ放題? バイキング? 海賊の話だけに? それは、そもそもアジアの「中国辺り」に厳密な国の線引きという物が存在していなかったからだ、と言います。...
View Article海賊海域の黄昏・4 海賊海域の人々
現地を分かりやすいフィクションで切り取っていったラッフルズは、スルタンやラジャと言った小王たちを取り込んで大英帝国の宋主権を広げて行ったかたやで、先行してこの海域で同様の活動をしていたオランダの駆逐に尽力します。 後発の優位を生かして、オランダに抵抗していた小王たちに力を貸しました。 これは彼らを味方にしつつ、敵を追い払うという一石二鳥の策です。...
View Articleフィリピン再訪・4
さて、フィリピンでの練習も佳境に入り、秘伝とされているモンゴシを日々訓練しております。 事前に「シャツを六枚持ってこい」とマスタル・ロドンハに言われていて、ジムに行っても真っ先にグランド・マスタルから「シャツの換えはあるか?」と訊かれるくらいだったのですが、確かにずぶぬれになる……。 久しぶりにシャツが絞れるくらい汗をかきました。 しかも一度に二枚。...
View Articleフィリピン再訪・5
モンゴシを二時間やったら、アルニスを一時間練習しています。 とはいえ、すでにマスタル・ロドンハから習ったところとはかぶらないように配慮してくれているらしくて、極めて特殊な複雑な技術ばかりが展開しています。 アドバンスのディスアーミングを習った後で、今度は相手がディスアーミングをしようとしてきたところを逆に返したり、あるいはロッキングで固めたりするような、日本古武術の組型のようなことをしています。...
View Article海賊海域の黄昏・5 海賊大王への野望
イギリスのエージェントとして「中国辺り」に乗り込んで勢力図の書き換えを画策していたラッフルズでしたが、その最中にヨーロッパでナポレオン戦争が終結します。 これによってイギリス、フランス、オランダの間で東南アジアにおける領地の再分配がされたことで勢力図が大きく変わりました。 また、アヘン戦争による香港の獲得などもあり、ラッフルズおよびイギリスの勢力圏はより東側に移行してゆくこととなりました。...
View Article海賊海域の黄昏・6 オランダ東インド会社
部族、それも略奪を旨とするような部族が旅団を率いて活動するというのは、北は馬賊、南は海賊としてアジアの歴史を大きく動かしてきました。 そのような歴史の有力者を鎮圧し、洋化させるというのが西洋社会のアジアへの進出のポイントです。そうして長が治める勢力圏を近代国家に作り変えてゆこうという寸法ですね。...
View Articleフィリピン再訪・6
先週の土曜日、マスタル・ロドンハと練習した帰りにちょうど向こうも練習をしていたグランド・マスタル・レイに遭遇しました。 この先生はマスタル・ロドンハのモンゴシの先生で、その時はまだGMペピートと渡りがついていなかったので、マスタル・ロドンハが私がモンゴシを習えるように取り計らってくれました。 その練習の日が今日でした。...
View Articleフィリピン再訪・7
とうとう本日は、今回の練習最終日でした。 朝一からGMのジムに行き、午後はGMレイとの練習という二回戦でした。 ジムでの練習では、モンゴシと剣術をやりました。 やはり今回は前回の基本編の奥の段階、別カテゴリーの部分が課題であったようです。 おかげで色々なことが立体的に見えてきたように思います。...
View Article海賊海域の黄昏・7 フィリピンの開港
これまでもフィリピンについては色々と書いてきましたので、なるべくこれまでに書いていなかった部分をクローズアップしてみたいと思います。 フィリピンはマレーやのちのインドネシア、シンガポールと違って「会社」組織の侵略を許してはいませんでした。 それはイギリスによる一時的な侵略などはありながらも、スペインが支配を維持していたからです。...
View Article海賊海域の黄昏・8 人種と「東南アジア」の成立
このシリーズのそもそもの発端は「もともと東南アジアなんてものはなかったしインドネシアもマレー人も存在しなかった」ということを書きたかったということにあります。 そのような物は後世によるでっち上げであり、それを知らない人々がインドネシアの伝統武術であるとかマレーシアの伝統武術であるなどと言ったファンタジーを巷間に広めていることの危険性を押しとどめるためにこれらを書いています。...
View Article海賊海域の黄昏・9 アメリカとフォードの工業化思想とブラックジャパン
現地人がそもそも持っていた価値観が、西洋人の植民地支配によって上書きされてまったく元々の物とは変わっていったと言うことを前回書きました。 これによって、物事は思わぬ力の発生を見せます。「お前はマレー人だ」と呼ばれていた人々が、本当に自分たちはマレー人だとすっかり思うようになってきたのです。 本来ヴァーチャルだったはずの抽象概念が定着したことによってそれは実態を伴った集合体となりました。...
View Article海賊海域の黄昏・10 海賊海域の終焉
より直接的な例を挙げてみましょう。 スカルノ初代大統領らによって、インドネシアでは「(西洋に作られた)民族運動」が活発化し、反乱運動はやがて建国運動、独立戦争となりました。 彼らはオランダを追い出し、西洋人が作った区画の地域を自分たちの作った「インドネシア」という概念の国として奪還しました。 そこに助成をしたのがアメリカです。出たアメリカ!...
View Article今回のアルニス修行のまとめ
今回のマニラ再訪は、わずか二週間ばかりと以前にもましての短期留学となりました。 その分、今回は英語学校に行ったりもせず、ひたすら体力の限界まで練習をするようなことになり、正直全日程をぎりぎり持たしたくらいの感じで、現在も余力がほとんどありません。 そのためか、ちょっと喉が痛い。 風邪かな? いや、現地にウィルスが居た感じがあまりしない。汚染された大気でやられただけかもしれない。...
View Article11月23日都内ワークショップのお知らせ
11月23日 祝日、江戸川橋体育館 多目的室にて15時30分より18時まで、フィリピン武術ラプンティ・アルニスのワークショップを行います。 今回の企画では今年のフィリピンで仕込んできた複雑系の上級技術のうち、いくつかのカテゴリーをまるごとなぞって大枠を経験してみようと言うことを考えています。...
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