部族、それも略奪を旨とするような部族が旅団を率いて活動するというのは、北は馬賊、南は海賊としてアジアの歴史を大きく動かしてきました。
そのような歴史の有力者を鎮圧し、洋化させるというのが西洋社会のアジアへの進出のポイントです。そうして長が治める勢力圏を近代国家に作り変えてゆこうという寸法ですね。
そのために、イギリス東インド会社のラッフルズは中華系秘密結社との付き合い方を模索し、また海賊を束ねることを画策しました。
彼らの力を、自分たちが支配することがアジアを乗っ取ることであると理解していたのですね。
イギリス東インド会社のライバルであるオランダ東インド会社では、ジャワにおいて現地の部族の貴族たちをオランダ直轄の官僚という扱いとして召し上げ、砂糖、タバコなどの輸出品を製造しました。
同時に、インドから輸入したアヘンの国内での販売権を、中華系秘密結社に与えました。
このため、アヘンは各地の知事から現地官僚のルートを通って各地のアヘン窟に流れてゆきました。
彼等高官は手下のやくざ者を使って警察に潜り込ませ、自分たちを介さない密輸アヘンを厳しく取り締まりました。
こうして、オランダ人官僚→現地人官僚→中国人、やくざ者、と言ったヒエラルキーが形成されました。
これが後にインドネシアとなる土地の土台となります。
つづく