今回のマニラ再訪は、わずか二週間ばかりと以前にもましての短期留学となりました。
その分、今回は英語学校に行ったりもせず、ひたすら体力の限界まで練習をするようなことになり、正直全日程をぎりぎり持たしたくらいの感じで、現在も余力がほとんどありません。
そのためか、ちょっと喉が痛い。
風邪かな? いや、現地にウィルスが居た感じがあまりしない。汚染された大気でやられただけかもしれない。
私は気功学の気質の分類で言うと固摂作用という物が弱く、体液が身体から漏れ出しやすい。九月のルソンで連日の稽古では汗が止まらず、一緒に体内の栄養分も大量に出て行ってしまうので、大変負担が大きいものです。
そうなると非常に体調を崩しやすくなる。
帰ってきたらだいぶ日本は涼しくなっていたので一安心しました。
ただ、それでも日中直射日光に当たっていると暑邪が入るくらいにまだ身体が太陽の気を入れすぎている感があります。
そんな中で持ち帰った物のまとめをしてみますと、詰め込んでもらえた物はだいたい十五くらいのカテゴリーに分けられます。
15の技とか型ではありません。15以上のカテゴリーの技術です。
そのうちの三つはループ・トレーニングで、二人一組となって一方が先に攻撃をし、それをやられた方が返し、さらにそれをまた反撃し、というルーティンが繰り返されるます。
多い物だと12アングル・アタックに反応した、それぞれ十弱の動作で迎撃するルーティンがあります。いわゆるグルーピングと言われる組型の部類です。
同じく12アングルに対応したディスアーミングの部門があり、また関節技部門にそれぞれ12か13ほど組型があり、とこの調子で15以上です。
前回はサヤウ(舞の意。一人型)を中心としていました。
これは、ラプンティ・アルニスの中核がそこにあり、かつそれが流派の動きを身に着けるのに絶対に必要不可欠な物であるからでしょう。
今回はそれが身に付いたうえでの、組型の部ばかりをいただいた感があります。
ペルシャシラダと言う概念があるのですが、これがどういうことかと訊くと、片方が攻撃してきた時の反撃コンビネーションをする練習のためのものだと教わりました。
いわば実戦用訓練用に作られたコンビネーションのような物です。
このペルシャシラダ動作を如何に応用するかがどうも流派のコンセプトとして大切であるようでした。
そこから派生して、さらに応用編のディスアーミングと、上級編のディスアーミング、またさらに難しい、相手の12の打ち込みに対するバストンを使った関節技の組型もまたいただきました。
これらはモダン・アーニスやそのルーツであるバハドのエスクリマの技術として発展した物です。
古典のラプンティ・スタイルが本来ペルシャシラダを中心として戦うことを想定してたことからすると、かなり応用編の部類となります。
さらにそこから今度は刀剣の部類がありました。
こちらは再び古典的な物であり、組んで投げるとか絡めるではなくて得物で打つことが中心の物となりますが、特に大切なのが相手の攻撃の受け止めかたです。
刃と刃をなるべくぶつけないようにし、相手の攻撃を刃物の腹や背で受け流すことがバストンの技術にプラスされた部分になります。
それから同様にしてナイフです。
これもまた刃物なのですが、ナイフで相手の攻撃を受けるのは難しいので別の使用法が問われます。
さらに、武器を持っていない方の手の要求がより多く求められることになります。
こういった物をひたすら組型で行いました。
練習では刃の付いてない模造の道具を使うのですが、それでも十分に恐ろしく、嫌な気持ちになる物でした。
私はもともとボーイスカウトだったので、刃物を危険な感じで扱うことには強い抵抗があります。
そのような道具で意図的に人を傷つけるということの、生き物を損なう生の部分の残酷さが常に伝わってきました。
うちでこれを継承するにおいては、必ず練習者には命に傷をつけると言うことは取り返しがつかないことであるということを良く理解してほしく思います。
鳥の一羽、虫の一匹の命だとしても、自分の力では取り返しがつかない責任を負うことです。その自覚が持てない人間には、武術と言う物の智を理解することは恐らく出来ない。
ギリギリのエッジの部分に迫ることで、精神的にもその部分での節度や理性、知性が求められないなら、それは学ぶほどの意味はきっとないものにしかなりえないと思います
これらの大変多くの組型の技術を体得すれば、グランド・マスタルの資格が出来るとのことでした。
そして、次に来た時はバストンを両手に持ってディスアーミングをしたりロッキングをしたりする技術をやると言って少しだけ体験させてくれました。
実に奇妙な感じがした技術でしたが、これはつまり、刀剣術をやってナイフをやって、それから両手の技術をやることで最終段階のエスパダ・イ・ダガに至るという構造なのでしょう。
なお、前述のペルシシラダは左手にナイフを持てばエスパダ・イ・ダガとなり、これもまた同じところに行きつくための段階となっています。
そちらと別方向での頂点としては、ペルソピアというカテゴリーの技術群を習いました。
フィリピン訛りではFとPの音が混ざってフィリピンがピリピン、ファイティングがパイティングとなるのですが、ちょうどこの時は数か国語にたけたブラジル人のイヴァンが居てくれたので彼に「それってフィロソフィーのことかな?」と確認をしてもらったらどうやらそうだということでした。
フィロソフィー、哲学という区分は、イノサント先生の分類したフィリピン武術の内容の区分にも出てくるのですが、これは本当に形而上学的な意味での哲学のことではありません。
相手が自分のバストンを掴んで来た場合の、複雑な系統の技術群をこういうようでした。
お互いにつかみ合いのパズルのようになったところです。
このように、今回は組型ばかりの上級編の内容でした。
モダン系のフィリピン武術ではおそらく珍しい物ではないのかもしれませんが、古い時代から続いている伝統エスクリマからするとかなり入り組んだ内容の物になっています。
近いうちに、一般向けに公開セミナーなどしてみたいなあなどと思ってます。