現地人がそもそも持っていた価値観が、西洋人の植民地支配によって上書きされてまったく元々の物とは変わっていったと言うことを前回書きました。
これによって、物事は思わぬ力の発生を見せます。
「お前はマレー人だ」と呼ばれていた人々が、本当に自分たちはマレー人だとすっかり思うようになってきたのです。
本来ヴァーチャルだったはずの抽象概念が定着したことによってそれは実態を伴った集合体となりました。
彼らは自分たちと「西洋人」の間の差を嫌でも直視するようになります。
結果彼らは「民族の独立」という行動にでるようになります。
なんというか、人間に作られた人工知能が反乱を起こすと言うお話のようです。
これは八月に書いたホラーの解析の文脈で言うなら「フランケンシュタイン」に当たる部分でしょうか。
バラバラの人間の部分を組み合わせて作った人造人間が一つの人間としての自我を持ち始めて、支配者に反抗心を抱き始める、という流れです。
この構図で興味深いのが、現地の支配勢力である西洋人側は、自分たちが押し付けた人口の国の価値観を守ろうとして愛国主義を推し進めることです。
それに対して、抵抗した「マレー人」側は共産主義を背骨とします。
こうして、右派の愛国主義者が西洋人、左派が(創作された)民族主義者という不思議な構図が出来上がりました。
東南アジア各地の民族紛争が、左派ゲリラによって行われるのはこのような経緯があってなのです。
そのような中で台頭してきたのが、最初にラッフルズが「要注意だ」と指摘していた民族の内、唯一地元の物ではない「アメリカ」です。
私が中華圏の歴史を書くページで長い間アメリカについて語り続けている意味がここで顕れます。
世界進出を画策しているアメリカは、第二次大戦を通してフィリピン、日本をアジア拠点として確立します。
両国に前線基地を作り、さらには朝鮮半島への進出をしてゆきます。
時を同じくしてラテン・アメリカ政策においてもキューバへの侵略をしています。
この、キューバでの現地支配において直接的な代行をしたのがフォード社です。
この侵略にも抵抗があって、結局キューバは現在でも社会主義国でアメリカに対して鎖国をしたままという結果になるのですが、そのためにいまでも当時のフォード車を修理して使っているという現象が起きています。
そのくらいに、フォードというのがアメリカの現地資本の吸い上げ機関として機能していた。
このフォードの基本思想というのが「すべての部品を取り換え可能にする」ということだそうです。
この方針は、アメリカの工業化の基本概念として定着しました
単純に工業製品だけではなくて、その生産ラインに関わる人間も含めてのことです。
はい。これでこのページ、および我々の活動におけるライフスタイルの確率というテーマに直結します。
つまり、支配下にある人間を取り換えかのうなパーツとして使い捨てるという価値観がこうして広められていったということです。
先に書いたとおり、アメリカの勢力圏になった日本、韓国は既存の儒教概念とも組み合わさってかもろにこの価値観が国風となりました。
日本のこの国風は決して本当に伝統的な物ではありません。あくまで明治以降、特にアメリカ支配下の戦後に刷り込まれたものです。
ブラック企業やパワハラなどの社会の構図は、そうやって「伝統的な体育会系思想だ」という巨大な嘘によって吹き込まれて、高度経済成長と共に一気に浸透しました。
ラッフルズの人種区分と同じく、完全に記憶や本来の伝統が上書きされてしまったのです。
同じことが行われた「東南アジア」ではこの価値観に抵抗するために、共産思想を背景とした革命運動が群発して行ったと言う訳なのですね。
つづく