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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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急がなきゃ ぼくらの掛けた魔法が解ける前に

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 たまには日本のアーティストの曲などを一緒に聴きましょうか。

https://www.youtube.com/watch?v=Ab3PU7DGf98

 動画の下に、歌詞が書いてあります。

 そこに「急がなきゃ ぼくらの掛けた魔法が解ける前に 話したいことがあるんだ」とあるのを読むことが出来ます。

 人に何か大切な、本当のことを伝えたいときには、こういう気持ちになるものではないでしょうか。

 魔法や呪いは、激しく心を震わせますが、実はそれは一瞬のことです。

 なので、本当に大切なことを伝えるにはその間にそこに届けないといけない。

 これは難しいことかもしれません。

 この間、練習に来てくれていたかたの経穴を開いたことを書きましたが、そのようなことをしたり高級とされている技を掛けたりしてそれまでの状態とは価値観が変わった時に、それをなすための大切なことやそれをなすことの意味をお伝えしています。

 そうやって価値観を変えて、心と身体を少しづつ変えて行くことがその人のライフを変えてゆくことなのだと思っています。

 精神と身体、その両方が変わらないと出来ない部分が中国武術の一定から先の深いところにはあります。

 しかしこれが難しいところで、迷いやすい人、極端に心の弱い人は、初めの一歩の魔法の段階で自分が大きくなったような気になり、人にも自分を大きく見せようとして、自分で自分を目くらましに掛けることの方に一生懸命になってしまって、もっとも大切なことをしなくなってしまう。

 それをやるための努力や、それをすることで自分がどのように生きられるかというところに進むことが出来ない。

 そうしてエゴの深い森に迷い込んでゆく人はとても多い。

 無明の中に自らで灯をともせる強さが、どうしても少しだけ必要になるようです。

 先日、ネット上で瞑想から精神疾患を発した人のレポートを目にしたことがありました。

 その人は自己流で瞑想をしすぎて、ある境地にまで行ったそうです。

 それは一体感と呼ばれる現象で、おそらくスポーツで言うゾーンと同じような感覚なのでしょうが、世界の意味や動きがものすごく強く感じられる状態です。

 それは恐らく、LSDなどで得られる覚り体験のような物なのでしょう。脳内の分泌物の異常で起るものです。

 私はそこに苦行の果てにたどり着いたことがあります。

 それは確かにすごいものでした。

 その方は、そこから戻ってきたあとに、世界のすべてが詰まらなくなってしまったそうです。

 そこで感じた超人になったような感覚から切り離されてしまったことで暮らしが詰まらなくなり、そのまま精神病に至ったのだということでした。

 このようなことは、禅では魔境と呼ばれており、また各種の正統な瞑想のメソッドからしても魔法の類とされて過ちだと言われています。

 心の弱い人が中核をしっかりと持っていないままそのような感覚の世界に入ると、自分を見失って狂気に陥るという典型的な例がこのお話でしょう。 

 私の場合は生来無感動な性質なのか、たまたまこの世界にが見えた時に「あぁ、こうなるんだ。でもこれはただの生理的な現象だから意味はないな。この先のことが分かることが大切だ。シッシッ」となってそこでとどまろうということはなかったのですが、やはりそう思うにはあらかじめ正しい知識と、自分に甘い状況よりも善知識を優先する心が必要だったのかもしれません。

 気功でそのような感覚の変化を経験し(洗髄)、勁の通った身体になって(易筋)中国武術は形になります。

 でも、その前の段階で魔境に行って満足してその場にうずく待ったきりになってしまう人が絶えない。それではアヘン中毒と変わらない。

 往時にアヘンが猛威を振るったのは、それが惨めな人生を忘れさせてくれて、もう戻らなくてそのままでいいと言う気にさせるからだと読んだことがあります。

 そのようになった人はそのまま全財産を費やし、食べも飲みもせず、そのままアヘン窟で死んで捨てられていったそうです。

 フィリピン武術の世界で仮想敵として猛威を振るっていたイスラムのジハーディストは、ハッシシで一時楽園を見させられて、勇敢に死ねばまたそこに行けるのだと説き伏せられることで自爆テロを遂行していたと言います。

 テストで良い点を取り、えばる人の言うことに対して疑問を持たず、こびへつらい、後から来た物を蹴落として先に居る者の足を引っ張ってみんなと肩を並べて大きな動きに逆らわなければ幸せになれると洗脳されてきたどこかの国の人たちと通じる物を感じます。

 アヘン中毒者と同じくらい、心が病みすり減って希薄になってしまっている人が沢山います。

 そのような人々のライフスタイルを良くする助力が出来たらと思ってこの活動をしているのですが、そのような人は魔法にかかってうずくまってしまうことが多いのかもしれません。

 大切なのはその魔法がもたらす幻の先です。

 気功は催眠術ではないし、発勁が出来ても達人ではありません。

 その甘い自己愛性妄想の先からがスタートです。

 伝統思想の多くは、必ず行って帰ってくるまでの過程を保持しています。

 行っただけで、返ってきたら変わらない卑屈な存在のままということではなく、行った先で変化をして、帰ってきた日常を変わった物として送るというので修行がパッケージされています。

 幻の向こうにある真実と、戻ってきてからのただの現実の暮らし。そこを良く生きることが本当の幸せだと私は信じているのですけれども。


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