経典にある練功法は、精を運用する物で、注意書きとして「あくまで心を用いて精を動かそうとして、筋肉を作用させてはいけません」とあります。
これは非常に面白いことです。
この、意識だけで精を誘導しようとすると、実はすでに練功をしている人間は身体の中が動きます。
この、大きな筋肉や骨格に依らない動きをするのが私たちが言うところの「膜」であり、この動きを微動と言ったりする先生もいます。
武術の言葉に「意で気を導き、気で勁を導く」という物があります。
多くの人が勁を理解せず、獲得できないのはこの意味が伝えられていないところが大きいように思います。
この、意で気を導く、というのが、経典にあった筋肉を作用させないで心で動かそうとする、ということに通じているのではないかと思っています。
気というのを、微動と言い換えてみたいところです。
そして、この微動の遣い方で勁が出来ます。
肉体の研究に熱心な人の中に、微動、気までは自得できる人がいることがあります。
あるいは気功の修練者なども同様でしょう。
しかし、これらの人は得勁が出来ないのです。
自己流の人もしかり。
なぜなら、勁とはその流派の伝系ごとに決まっているやり方で、微動をさせることだからです。
つまり、微動がリソースです。
あるいは、分子。
それらが組み合わさって物質、すなわち勁を作るのです。
材料だけあっても目的地がなければ特定の物は作れません。
私たちのやり方で言うなら、微動(気)を持って線を作り、その線を身体の中で特定の走らせ方をすることになります。それが鉄線功です。
気で作った勁でワイヤーを練り上げて体内に張るのです。
そのワイヤーの遣い方が用勁になります。
山田風太郎先生の忍法帖物に出てくる線状の武器を使うキャラクターのようなものです。まずは絶頂に達して心停止した女性の黒髪なりなんなりを集めてそれで武器を作って、それからがその兵器の遣い方のスタートです。
つづく