このことについて、経典は面白いことを書いていました。
気のエネルギーを八つに分類するとして、そのうちの一つに「脈動」という物を挙げていたのです。
この脈動が先ほどから上げている意によって導かれた気であり、その気を術によって変化させた勁になります。
脈動の主体は、血管や膜となります。
以前に、五臓の勁について書きましたが、ここでこれが非常に重要になってきます。
と言うのも、中国武術をする人ならだれでも足を鍛えます。我々が言う馬ですね。
これは比較的容易に強化ができます。
腕を鍛えることも正しく指導を受ければそう難しくはありません。我々が橋と呼ぶ部分ですね。
こうして四肢を鍛えるのですが、しかし、それらを用いて発勁をしようとしても得てして失敗します
なぜなら、胴体の部分がぜい弱で手足の接続が分断されやすいからです。
そこで震脚や沈墜を用いて短期的に身体の上下をぶつけて重力による落下のベクトルで統合しようとします。短勁です。
一時的な自分自身の中での衝突事故を落とすことで上下を統合するわけです。
しかし、我々長勁と呼ばれる長い勁を用いる派、あるいは暗勁と呼ばれる物を用いる人はそこが変わります。
動作による発勁を否定して、手足の勁を一つに繋げるのです。
そのためには手足の強さと比べて弱い胴体を強化しなければいけないのですが、そもそも手足が筋力を扱うために存在する部分なのに対して胴体はそうではありません。
ボディの中には筋肉が詰まっている訳ではなくて、重要な臓器がいっぱい詰まっています。
大きさと自重に対して体幹は圧倒的に筋量が足りないのです。
これは、ウェイト・トレーニングを考えてみるとイメージしやすいでしょう。
たとえば、自分の体重を同じだけの重さを手で持ち上げようとするなら、おそらく半年から一年ほどジムに通えば多くの人に可能であると思われます
足で同じだけのウェイトを持ち上げるのはもっと簡単です。もともと自重を常に支えている部位ですから。
しかし、その重さを肩にしょって腹筋が出来る人がどれだけいるでしょうか。
おそらくボディビルダーでも難しいのではないでしょうか。
これが構造の問題ということです。
この対策をするのが、胴体につまっている臓器の脈動から勁を引き出すということです。
経典にある、精を会陰より体内に引き上げて臓器に還すという内功も、それを行うことで腹腔の繋がりが勁で強くなります。
そして、さらに精を脳まで引き上げることで頭部に至るまでの体幹が統一されるわけです。
この、体内の操作によって、どうやらかなり勁が強くなっているような感覚があります。
以前なら早く強く行うと切れていたような発勁が、しっかり出来るようになってきました。