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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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少林寺三十六房

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 私はよく、子供の頃に観た功夫電影を見返しているのですけれども、先日は「少林寺三十六房」を見返しました。

 実に子供のころぶりの再会です。

 いやー面白かった。

 あらすじはこんな感じです。

 清朝の腐敗から反清運動が起こり始めたころ、仲間を殺された少年が少林寺に逃げ込んで復讐を果たすための武術を学ぼうとするも、得度は認められたものも武術を学ぶことは無く、五年経ってようやく武術を学ぶための道場である三十五の房に入ることを許されます。

 一気に奥義を学びたいと最高位の房である頂房に行くも、そこは老僧たちが経典の研究をしている場所で、あまり熱心にそれをしていなかった主人公は老僧に一喝されてしまいます。

 すると少年の体は宙を舞い、地面に叩きつけられてしまいます。

 その魔術のような現象に驚き、慌てて逃げだした少年は一番したの飯房というところから修行を再開。

 そこはまず、食事を摂るために軽功で浮橋を渡らなければならないというところでした。

 そこでの修行を無事終え、続いて腕力や腿法、棍法、眼法などの修行を何年もかけて修了していった結果、少年はその実力を認められて、どこか好きな房の教練を務めるよう提言されます。

 しかし、総教練である僧がそこにまったを掛け、自分と腕比べをしてからにしろと提案します。

 緫管長の使う双刀の技はするどく、棒などを用いても主人公はかないません。

 そこで工夫を凝らし、これまでの房での修行を一つに合わせて活用できる兵器、三節棍を編み出します。

 その新兵器で見事管長を破った主人公は、房の教練になるのではなく、寺の外の人々にも少林拳を伝えられる新たな房の設立を提案します。

 下山して托鉢を命じられた主人公は、そこで清朝に反感を抱く若者たちをまとめ、見事に汚わい役人を倒し、彼らを引き連れて三十六番目の房での修行を開始するのでした。

 この作品では、少林拳の要諦と、三節棍という兵器の発祥の故事、それから三十六番目の房によって寺の外に少林拳が伝えられ、それがのちの広東での南拳や反清復明運動になったということが示唆されています。

 つまり、私にとってはルーツをたどる内容だったわけです。

 そう考えると、蔡李佛門の大師たちは三節棍を得意にしている方が多いように感じます。これはやはり、反清復明の南少林の精神を象徴した物だったためなのかもしれません。

 これだけでも面白いのですが、素晴らしいのはあくまでも功夫が元は革命兵士のための調練を主としたものではなく、仏教の教えのためのものだということをきちんと描いていることです。

 寺は外界とは無縁であり、外の者には教えていなかったことや、その頂点にあるのは経典の理解であり、臨済宗の教え通り一喝こそがその精神であるということを実に面白くエンターテインメントにしていました。

 私たちにとっては、まさにバイブル、経典のような映画だと感じました。

 法や道は人を選びません。老若男女、運動に自信のないかたも難しいことは考えていない方も、暮らしの中に何か手ごたえのあるものがほしくなったらいつでもいらしてください。


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