師公の経典にかかれた練功を行っていると、その難しさと効果に驚かされます。
これはやはり、直接師から手ほどきをされていなかったら出来ないし、されていても武術としての勁が無ければやはり行うことはできなかったことでしょう。
功夫が無ければ及ばない類の物です。
しかし、うちに来ている皆さんに聴いてみれば、世の中には本を読んだだけでこのような気功を行っている人が沢山いるということ。
それどころか、調べてみればその人たち中には「仙道」という言葉でそんなことをしている一群の層があるのだと知りました。
その仙道という言葉を聞いたのは、いまから十年くらい前でしょうか。
当時居た中国武術の流派にちょっと問題のある人が居て、門内の噂で「あの人は仙道をやっていたらしい」ということを聴いたことがあったのです。
「なんだよ仙道って」と私は笑いました。
ある人が「自分は我流で剣術を修行している」と言ったときとまったく同じ大笑いです。
その、仙道というのは、おそらくこの、本を読んで一人で家でその気になっているという一群の人たちの行為のことだといまでは思われます。
いや、仙道という物そのものを否定はしません。
しかし、ここでいう一群というのは、中国や台湾できちんと仙の修行をする人では無くて、本を読んだだけで修行しているなどと言えてしまう人たちなので、私は笑ってしまうのです。
本気でやりたいなら、きちんと外国に行って本物のいる山なり道観なりに行って一から修行をすればいいのに。
その趣味程度の仙道。
いやはや。実に滑稽で愚劣で醜悪です。
うちにもその手の輩が来たことがあったのですが、やはり結局は普通に学ぶことが出来ませんでした。精神がまともでないので学問をするということが出来ない。
このように私はオカルトと言う物にまったく関心や理解がないどころか大変に軽蔑をしているので、そちらの業界にはとんとかかわりが無いのですが、昔から中国武術などの世界にいる人たちから聴くと、かなりの割合でオカルト層がその一部として中国武術に接しているというのです。
昔、武術雑誌の通販でまじないの道具やらどこぞのお社のお守りだとかがやたらに扱われていたのはそのせいでしたか。
記事でも身体操法や歴史のことなんて全然扱われていなくて、祈祷だ占いだばかりが書かれていた時期があったのが、私が武術雑誌と言う物を信用しなくなったきっかけでした。
そのような人が武術に求めてるのは、一言で言うと超能力だそうです。
いやー、ははは、超能力ですか。そーですか、大変でしたね、おつかれさまです。わはははは。
書いていても言葉のばかばかしさに笑ってしまいますが、本当にそれを目的として、部屋で本で読んだ修行をしているのです。いやはやすごい人生を選んだ人たちがいるもんだ。
そういう人たちがいるから、正統な武術家までが胡散臭い物として扱われる。迷惑な話です。
つづく