大切な友達が亡くなりました。
まだ若かくて、人一倍元気だったのに、突然倒れてその翌日には亡くなったのだそうです。脳梗塞でした。
いまから十年ほど前、私が一番苦しかったころに一緒に居てくれて、何度も助けてくれた人でした。
最近では向こうの環境も変わり、会うことも減っていたのですが、それでも時々は出会って近況を交換していました。
ちょうど彼女が倒れている頃、立ち寄った店でよく似た人を見かけて、また会って話したいなと思っていました。
それがもうどこにも居ない。
本当にもう居ないのと連絡しかけて、それが出来ないことを想いだして手を止めました。
こうやって人は、突然いなくなってしまう。
彼女のことを想うと、その切実さに、自分の生き方を見直させられます。
ここまではこれまでの自分の生き方と変わりませんでした。
でも、悲しみを軸として心身を律するという生き方もまた、最善ではない。
そのことを学んできたばかりです。
悲しみに寄り添っていれば、心を澄ませてまっすぐに保てる。
でも、それは同時に、変化して円環する感情の中で、必ずわずかにでも澱やゆがみを残します。
それに対して、より敏感になり、適切に対処することがいまでは出来るはず。
信じられないような悲しみに打たれながらも、それに対する誠意を悲しみ以外の形でも持つことが出来るはず。
悲しみをきつく抱きしめて、そこからばかり力を得て生きてゆくことは、別のところで命を削ります。
これまではそれで上出来でした。
けれど、よりよい形があることを知ってしまったいまは、そちらに向かって歩みだしてゆきます。
さようなら、大好きだった人。
きっといつまでもあなたを思い出します。
その時のあなたは、いつもと同じ特別な笑顔なことでしょう。
周りを驚かせていた、けたたましい笑い声を忘れることは出来ない。
誰よりも元気で強かったあなたを、悲しみだけの象徴にはしません。
いつか思い出すたびに心に浮かぶ笑いに微笑み返せるようになりたいです。