私たち鴻勝蔡李佛拳は、蔡李佛拳の中でも特に太平天国の武術としての色が強い派です。
すなわち洪門、つまり南少林という名の革命結社の祖を師と仰ぎ、洪門内での普及武術として練功されてきたからです。
その流れは太平天国革命においてピークに達しました。いわば、我々の武術は太平天国のためにデザインされたものであると言っても過言ではありません。
特に、太平天国拳と通称している四つの套路は、太平天国の四つの文字にちなんだ名前がついています。
太平天国での敗戦後、革命組織の拳師たちのうち、ある物はアメリカに苦力として亡命し、ある物は東南アジアに避難し、またある物は国内に潜伏してさらに地下活動を継続しました。
その内の多くは、後の文化大革命までの時代の中で、やはり海外に出て行きました。
そういった伝統武術家たちの動向の結果が、私がフィリピンから持ち帰った土着化した洪門武術であるラプンティ・アルニス・デ・アバニコであり、またタイで行われている気功療法である気内臓です。
そのようにして、中華文化が外国に行くと言うのは歴史上当然の物として行われてきたことなのですが、それは常に一方通行だったわけではなく、往来があったということがあります。
今回ご紹介したのはこちらになります。
https://www.youtube.com/watch?v=4uUmUtDaqZk
これは、棉拳、または壮拳などと呼ばれている武術であるようです。昂拳というのも呼び名なのかな?
以前もここで何度か書いてきている、古式の泰拳法であるとここでは語られています。
以前の繰り返しになりますが、泰拳法というのが何かというのを再度書きましょう。
これは、中国の少数民族である泰族の武術ということです。
この泰族、チベット系の種族であるらしいのですが、いまの雲南の辺りに多くいたのが、騎馬民族の侵略などで移動をしてゆき、後にタイという国を拓きます。
とはいえ、タイという国を作ってからも中華帝国の中の一部であったということが一つ、そしてタイというのも、アユタヤ王朝、シャム、ラーンナ王朝などのいくつもの王家があったのも一つで、かなり事情は入り組んでいるようです。
ただ、武術に関していうなら、彼らがやっていた武術が泰拳などと呼ばれる武術で、これは彼ら自身はムエタイと読んでいます。
現代ムエタイになる以前の武術としてのムエタイの時代からこのように認識されているようです。
そして、タイに留学していた時にも書きましたが、この武術の始祖を、彼ら自身はラーマヤーナのラーマ王子だとしているようなのです。
ヒンズーの物語では、ラーマ王子はカラリパヤットの遣い手とされています。
すなわち、ムエタイとは土着化したインド武術であるのです。
この現象は実は、中国武術もまた土着化したカラリパヤットである、ということと重なりあり、並列して存在します。
その並列があるために、タイ人にとってのムエタイは、中国においては上述の壮拳、棉拳などの武術となるのです。
この話、長くなりそうなので次回に続けます。