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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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タイ拳法と南派拳法・2

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 タイの話をする上で前提しておかないといけないのが、近代国家が成立する以前のアジアの国家というのは、現在のようにジグソーパズル式に地図を線引きしていなかったということです。

 昨年の秋に書いた海賊海域に関する記事にその辺は詳しいのですが、当時のアジアの国家の在り方というのは、マンダラ型と言われる勢力圏を持っていました。

 線引きされたものではなく、中心から同心円を描く形で自然に勢力圏が出来た物で、どこからどこまでがどの国の領域かというのは明確にされていなかった。

 また、それぞれの勢力圏の間には空白の地域があった。

 そのため、時代時代によりどこがどの国だったかというのは非常にあいまいかつ流動的で、一時はメコンから西はすべてタイだ、という頃さえあったようです。

 それだけの隆盛を誇り、現在に至るまで一度も西洋の支配を受けていないタイですが、同時にこの事情のため、どこからが中国でどこからがタイかというのもあいまいなところがあります。

 そもそも宗主国である中華がどこまでが中華なのかよくわからない。

 そのため、タイ武術もどこまでがタイ武術でどこからが中国武術なのかはよく分からない。

 そんな古式ムエタイ、壮拳らとは実は、ここでの記事ではまた別の場所でも遭遇していました。

 それは、三年ほど前に書いた倭寇の記事の中でです。

 明の時代、大倭寇という一大事変(というか内乱)が起きたことがあり、中華が大いに揺らいぎました。

 倭寇と言っても実は日本人ではなくて、西洋人、およびその配下のアフリカ人を含めた、世界各国の連合軍が倭寇と称して一大攻勢を中華にしかけてきていたのです。

 私たちが現在行っている、洪門武術やフィリピン武術などの海賊武術はこの時に倭寇側によって大いに振るわれた物がルーツとなっています。

 かたやで、有名な苗刀という物はこの時に倭寇に対するために生まれました。

 そのような、中国武術の大いなる転換期に、狼兵という人たちがいました。

 これは、雲南などに居たチワン族という少数民族の兵士のことで、中華では撩の末裔とされています。

 そして、彼らはやはり、タイ語族に分類されるというのです。

 このチワン族の狼兵部隊は明軍に率いられて倭寇の海賊連合と交戦したというのですが、当時の兵士の常で、戦闘の後、降兵となって倭寇になってしまったものも多発したと言います。

 そして、壮拳というのはこの、狼兵の武術だと言われているのです。

 つまり、大倭寇の時代に泰拳は海賊武術に組み込まれていました。

 この歴史は、明を滅ぼした清朝が亡国に及んだ時にまた繰り返されます。

 はい、太平天国に話が帰ってまいりました。

 ウィキペディアによると〝近代には1850年太平天国の乱が広西の金田村で始まったため、チワン族も多数参加した。〟とあります。

 私がなぜこの文を書いたのかの理由に入ります。

 最初に書いた太平天国拳の一つに、肘打や膝打ばかりする套路があります。

 初めて習ったときにはそれまでとまったく拳風が違うので面喰いました。

 師父が言うには、これは太平天国に参加していた他の武術流派から取り入れられたもので、どうやら八極拳ではないかと言うことでした。

 私は八極拳がどういう物なのかはまったく触れたことがないので、そうなのかと思ってとくに気にもしないで来ました。太平天国もまた、巨大な規模の反乱で、八極拳、心意六合拳なども含む回族武術が多数参加していました。

 しかしのちに、ちょっとだけ意識に引っかかることがありました。

 それは、大師がこの拳に関して、ムエタイの影響があると言っていたことです。

 確かに肘や膝を多用すると言うとムエタイっぽいとは思いますが、蔡李佛の平馬(馬歩)で立っているせいかまったくムエタイっぽくはない。

 何かコツとか用法で取り入れたものでもあるのかな? くらいに思っていました。

 そこで先の記事での動画です。

 あれを見て驚きました。

 あの泰拳の姿こそ、私が継承した物そのものでした。

 つまり、大師が言っていたムエタイとは、タイで今日行われている現代ムエタイではなくて、雲南の古式泰拳のことだったようなのです。

 これまで、私がこのサウス・マーシャル・アーツ・クラブの活動として続けてきた、インドから中国、東南アジアと連なってる武術の流れを追う研究の成果がここにより強固に結ばれました。

 まさに、これこそがこの伝統の確固たる具体そのものです。

 南派武術を奥まで学び、太平天国拳の全套路を相伝され、さらにその流れを追って研究している人は日本にはおそらく私しかいません。

 よって、この研究は非常に孤独でかつ誰にも理解されていない物なのですが、日本における中国武術という物の理解のされていなさに抵抗するためには絶対にしていかなければならない物です。

 さらに、今回のこの具体の発見に関してはこれだけでは終わりません。

 インド→タイ→雲南→広東→香港と繋がってきたこの武術の流れはさらに驚くべき物を私に見せてくれました。

 それがこちらです。

 この話題に繰り返し出てきている泰拳の一派、棉拳の動画です。

 

https://www.youtube.com/watch?v=v-wJvsRTusg

 

 はい、このルックになると、もうどう見てもムエタイの様相が観てとれます。

 しかし、驚いたのはそれでではありません。

 これは、私が昨年フィリピンで学んだ秘伝武術、モンゴシとまったく同じなのです。

 モンゴシはラプンティ・アルニスに併伝されているマノマノ(徒手武術)であり、当時書いた記事にあるように、自分で自分の身体をパシパシ叩く拍打を多用し、肘を多く打ち、やたらと回転をします。

 まさにこれです。

 すなわち、インドからタイ、南派拳法を鎖としてのフィリピンへのルートがこれで明確に現わされたということです。

 もう一つ、同じグループの動画を挙げてみましょう。

 

https://www.youtube.com/watch?v=Gq65RjB7vDU

 

 ここで行われている動きの多くがうちで練習されているものです。

 中には、フィリピン武術の修行者の中で経験をしたことがあるという人も居るかもしれない。

 それは私がこれまでフィールドワークをしてきた、この武術の潮流があるためです。

 これまでの私の世界あっちこっちウロウロ旅の結果が、また一つ姿を見せてくれました。


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