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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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棉拳の系譜

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 自分のフィールドでの研究についての大きな出会いがあって、また一歩先人の歩んで来た道の真実に近づいた思いでおりますが、その具体である棉拳についてちょっとこの段階での見解を書いてみたいと思います。

 中国では棉拳、ないし綿拳と書く武術はいくつかあるようで、それらの間の繋がりはこの段階では私にしにはまったくわかりません。

 英語ではコットン・フィストと訳されることが多いので、柔らかさを前面に押し出した物のような印象も受けますが、以前から目を付けていた派の物は、どちらかというと心意拳グループの小さい動きで連続的な攻撃を放ってゆくタイプの物で、外見上の柔らかさを強調した物では少なくとも無いようでした。

 初めてこの拳の名前を知ったのは、心意六合拳で有名な徐谷鳴老師のインタビューによってです。

 老師は自分がまだいた頃の上海武林について、そこではある綿拳の老師が実力派で知られている、と語っていました。

「綿拳? なんですかそれは。なんか柔らかそうなんですけど」と言う反応のインタビュアーに対して、老師は綿拳は非常に強い拳法で、それで名を馳せている老師も大変なタフガイであると言っていました。

 その後、綿拳に関しては武侠小説などでも目にしてきて、高名な武術なんだなという印象を持ち続けてきました。

 また、一方では古典の太極拳は綿拳の影響が強いなどと言うことを読んだりもしました。

 となると、柔らかい物もあるんだなと思った次第です。

 そして今回、自分たちの太平天国拳のルーツの一つである棉拳と出くわして大変に驚いたのですが、棉拳=古式ムエタイである、ということで、全然柔らかさとは関係ない。

 では、なぜ棉というのかと言うことが気になるのですが、どうもこれは音から来ているようです。

 棉と書いて、中国語では「ムエ」と発音するようなんですね。

 ムエ・タイのムエ。ムエ・カッチューアのムエ。

 ムエは闘うという意味らしくて、だからタイ式の武術はムエ・タイなのですね。

 カッチューアとは紐のことらしくて、グローブ代わりに拳に巻いている紐から来ているようです。

 ムエタイ選手のことをナック・モエと言いますが、このモエも同根の言葉であるかと思われます。

 なので、中華の少数民族である泰族の武術としては、もともと泰拳という言葉があってその流れで現代ムエタイも泰拳と呼ばれるのですが、タイ王国以外のムエが中国に入ってくると、音からの感じで棉を当てて棉拳と訳しているようです。ちょっと頭痛が痛い的な感じもしますが、外来語においてはよくあること。

 以上のような理由で、必然的にこれらの武術は原則同じ、タイ文化圏の武術であるという見解に及びます。

 メコン川から西はみなタイだと言われていた時代があった、という文章を読んだことがありますが、蒲甘(ボガン)と言われていたカンボジアもしかり。

 これによって、現中国国内の少数民族であるチワン族の武術であるという壮拳もまた、彼らが泰族系の民族であるために同様のタイ文化圏の武術であると伺われます。

 ただ、カンボジアやタイで行われている現在の棉拳と、壮拳の間には大きな違いが見えます。

 それは中国武術を語る上で欠かせない馬(立ち方)の問題なのですが、タイ、カンボジアでは現在のムエタイに近い立ち方をしています。

 ボクシングを取り入れて以降の上下運動やスキップはしていないので非常に武術的なのですが、それでもかなりスタンスとしては高い場合も見られます。

 ただもちろん低い場合もあって、これは使い分けているようです。

 かたや、壮拳の方は常に低い、典型的な平馬を維持し続けているように見えます。

 これはやはり、周囲の文化の影響なのではないでしょうか。

 手わざはほぼほぼまったく同じなのですが、馬だけ違う。

 そして、太平天国拳の中にある物は、やはりこちらに酷似しているのです。五輪馬と呼ばれる基本の姿勢を維持し続ける。

 とまぁ、ここまでは資料だけでもわかる話。

 ここからフィールドワークのお話です。

 私がね、フィリピンで学んだ秘伝の武術、モンゴシの話になります。

 これ、私はラプンティ・アルニスのGMで自分が弟子入りしたGMペピートと、その友達でライトニング・サイエンフィック・エスクリマのGMレイの二人から習ったのですが、GMペピートのスタイルは平馬も多様しています。

 でも、GMレイのスタイルは完全に蒲甘式なんですよ。あまりにそのものでびっくりしました。 

 これは、一体どういうことなのか。

 ラプンティ・アルニスがマニラのトンドに居た劉錦師父によって伝えられた蔡李佛が取り込まれていたから、その後継者であるGMペピートのスタイルは馬が手堅いのか、それとも、その流れとは別に、棉拳が伝わったのか。

 GMペピートはモンゴシのことを「カンフー」と呼んでいたので、それがカンフーから来ているという伝承があることなのだろうと思われます。

 空手やムエタイ、レスリングなども訓練していて、空手、ムエタイ、テコンドーの区別もしっかりと理解している専門家なので、アメリカン・マーシャル・アーティストのように何もかもが「KARATE」というようなざっくりとした視点からの発言ではないはず。

 だとすると、もしかしたら劉錦師父の流れとは別に棉拳の流れがあったのか。

 あるいは劉師父が棉拳もやっていたのか。

 実際、残っている動画を見ると他の拳もやっているのでその可能性は充分にありえます。

 いずれにせよ、タイから中国を横断してフィリピンに渡ってきたこの南派武術の流れの到達点がそこであることまでは現状確認できました。

 もしかしたらそこからさらにオーストラリアの方まで行ってるのかもしれないのですが、劉師父は後に香港に渡られたそうなのでそこまでは行ってない可能性が高い。

 でも、同門の拳士が言っていて、現地のカントニーズに伝わっていてもおかしくない。

 とまぁ、ここまでが私のフィールド・ワークで得た見解なのですが、実は棉拳にはもう一つ興味深い流れがあります。

 上に書いた、太極拳のルーツ説です。

 これは、泰拳的な棉拳だけを見ているととてもイメージが繋がりません。

 しかし、このような物があるのです。

 

https://www.youtube.com/watch?v=jF0nO4Cj-uc

 

 

 

 これが、起式のところまでは私が学んだモンゴシそのものなのです。

 しかし、その後はものすごく少林拳ぽいと同時に、太極拳ぽくもあります。

 この系統については、私はもう少林らしい心意把の系統の動きだとすごく思うのですが、泰拳の要素は肘打という意味では見えません。

 ただ、共通項として見られるものもあります。

 一つは片足立ち。この単重の維持こそが少林武術、すなわち心意把を象徴するものすごく重要な物なのですが、それってムエタイの印象的なポーズでもありますよね。

 この片足立ちの動きは、カラリパヤットのフラミンゴの型から来ていると言われています。

 二つ目は、借力です。

 この動画の中で多用されている手を巻き込むような動作なのですが、これ、武術としては相手を巻き込んだり引いたりして倒す用法になります。

 もちろんその名の通り相手のその時に用いている力を使って倒すのですが、それって太極拳とかってよくやるという風に聞いている気がしています。

 そして、それって太平天国拳でもモンゴシでもすごく使う技法なのです。

 太平天国拳においてはある意味特徴と言ってもいいくらいですし、モンゴシではジャーキンと呼ばれて非常に恐れられている手法です。

「動物が食らいついて引き倒すみたいにやるんだ!」とはGMレイの言葉で、GMペピートは他の人が見ているときにはこの用法の伝授を中断するくらいでした。

 ちなみに、ムエタイの天才と言われたブアカーオ選手はこの手が得意で、一試合の間に相手を何度も空気投げて倒していました。

 私的な見解ですが、有名な少林三十六肘というのは、この辺りと繋がっているのではないでしょうか。

 このようにしてこの流れを観てみると、歴史的に伝承されて来た、カラリパヤットが東に伝わってきてカンフーになり、それが少林で研究されて中土の多くのカンフーの基礎教養となり、さらには焼き討ち事件によって拡散、アジア中に散らばって行ったという出来事の実相を確認できるように思われます。

 私、およびこのSMACの活動であるこの分野の学問の研究において、非常に重要なポイントになっています。

 これまで、うちは格闘技はやってないと言ってきましたが、これによって少林的な瞑想をやりたい人も、太極拳の研究を深めたい人も、ヨガと気功で身体を澄ましたい人も、のちに格闘技に繋がるムエタイ的な物を学びたい人も、取り組み方さえ間違わなければ大丈夫なことになってしまった。


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