チーティング、インチキをしては純粋な自分の力を高めることはできない、ということを書きました。
これはコンヴィクト・コンディショニングの本質と言っても良いかと思います。
ウェイトを使わない。毎日長時間練習しない。プロテインもステロイドもなくていい。
そして、身体に負担を掛けない。
以前、私が練習をしていた道場での同門が、私がベンチで100キロを越えていることを知ると、自分は80キロだが胸に付けるまでバーを下ろしてやると言ってきた人がいました。
本人はどうやら自分はちゃんとやっているということをなぜか私に主張したかったらしくひどく得意げなのですが、ブリッジをして胸でワンバウンドさせてしまうと胸の力ではなくて身体の力で押し上げていることになってしまいますし、何より背骨や肩周り、胸筋の靭帯などが損傷する可能性も高く、非常に危険です。
この人のこのお話は、私にとって非常に印象的な物になっています。
似たタイプで、私が可動域でベンチをやっていると「そんなので効果あるの? なんの効果あるの?」と話しかけてきたおじさんも居ました。
その人をその後ジムで見たことが無い。
つまり、そういうことなのです。
謎に競争心があって、それが空回りして自分はちゃんとやれていない人を象徴しているのです。
他人が、自分の身体の状態をしっかり管理して、チーティングをせず、安全かつ長期的に鍛え上げて行くという地道なことをしていると、インチキばかりする人がなぜかこういう態度に出てくる人が非常に多い。
これは人格形成に失敗してしまって小児性が取れていないということのようなのですが、このインチキと中身のなさと言うのは非常に密接に繋がっていると思われます。
このようなコンプレックスは特に、うまく育つことが出来なかった小さい人に多いと言う説を最近学者が発表しました。
いまだにそのようなことが研究されていたのかと驚きましたが、いまだにこれはナポレオン・コンプレックスと呼ばれているそうです。ポリティカリティ―・コレクトに引っかからないのだろうか。
この伝で言うと、昨今マウンティングを公言する女性が特に若い層に少なくないように感じるのは、彼女たちが生来人口の半分より小柄であることが多いからかもしれない。
なにがしかのコンプレックス、および他者から感じる引け目によって、無用な競争意識を持ってしまうというのは充分にありえることだと思います(そしてそれはとても惨めに感じる)。
「他人と較べることは地獄の始まり」というのはお釈迦様の言葉ですが、まさにこの状態は無間地獄です。
コンプレックスを解消すれば良いのですが、そうでないばかりに永久に目にする他人すべてに対して卑屈な怯えを感じてそのために自分にしかルールの分からない自分しか参加していないゲームを一人で勝手に行い続けることになります。
ここまでは取り組み方によっては、それこそナポレオンのように自己成長をもたらすかもしれませんが、実際はそれは難しいのではないかと思われます。
なぜなら、出くわしたすべての人と勝負をして勝ち続けることなど、普通は出来ません。
しかし、彼らの動機は卑屈なコンプレックスの解消なので、勝ったことにしなければ話にならない。
結果、彼らは一人でやっているゲームすべてでインチキをします。
一人でやって一人でインチキ。
これが、上に書いた二人のベンチプレス絡みの人の本質です。
きちんと重りが上がるとか力がついて本来の目的のことのために役立つとかそういう目的地が存在せず、一人でインチキをして消耗している。
この行為の本当に恐ろしいことは、そうやって始終インチキをしてのべつまくなし嘘をつき続けていると、嘘以外に世界のありようが見いだせなくなることではないでしょうか。
挙句の果てには、他人まで自分と同じような物なのだろうと間違った思い込みに囚われて、結局何一つ現実の存在のしない虚無の幻影の世界に死ぬまで閉じ込められて生きることになる。
その間に、一回一回の腕立て伏せやベンチプレスに自分のすべてを集中させて、かつ関節の構造などに誠実で人目を気にせず鍛錬をしている人間は、現実の自分の存在を明確に確立させてゆきます。
この差は非常に大きい。
ね、インチキは怖いでしょう?