最近、MOROHAの曲をラジオで聴いて、改めて衝撃を受けました。
いや、YOUTUBEで観た時にはまぁいつものMOROHA節だなくらいに感じていたのですけれど、しっかり聴いたらやはり刺さります。
今回聴いたのはこちらの曲となります。
https://www.youtube.com/watch?v=sGbTErAWHcM
これは、20年くらい前の私の気持ちにとても似ています。
一言一言に、言った覚えがあるように感じます。
ただ目的は違ったので最終的には着地点で齟齬は出るのですが、それでも世界を変えたくて、とにかく必死になって戦っていた。
本気しか要らないし、本気でない人間には何のようもありませんでした。
そういう部分はいまに残っています。
いまの私はもう、自分と言う物に対してそこまでの情熱は無くなってしまいました。
師父の導きのおかげで、色々な執着を捨てていってます。
しかし、拘って必死で生きていた頃のことを恥じる気持ちはありません。
少なくとも、本気を得られたというのは大きかった。
人間は、生きてるだけで幸せだし、目的のために生きるのではない。
それを教えられて、いまもその実践の途中に居ます。
しかし、目的を見失うと戸惑います。
弱い。
果たしなく弱い。
弱くなると力や知性が乏しくなります。
そのような時に、ただ善意の方を向いていたい。
迷うほど、分からなくなるほどせめて誰かに対しての善意を行いたい。
おそらくそれだけは、間違いではないはずだと思います。
あるいはそれは、哲学や論理による力を失っているときにただ祈りにすがっているような物かもしれない。
それでも、基底に善があるということは、自身の存在において重要なのではないでしょうか。
ただ生きていると言う、それだけで十分に満たされる。
その在り方を保とうとしながら、今日も迷い、歩いている自分を今一度痛感しています。