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群れの力

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190719-00000040-asahi-soci&fbclid=IwAR1OXFlsB-VcEyBRa4Xh_Ja8CIqYhKkJ7W4-H675R6uasLjx618VE_qhQjk

 こちらはカリフォルニアのバークリーの市議会での条例を扱ったニュースです。

 マンホールという言葉はマンという言葉が男性を特定するように聞こえるので性差別的だからと改定をすることを含めた、色々な物の呼称の変更が採用される方向で動いているようです。

 この記事の中で、私が非常に驚いたのは以下の部分です。

 市が示した用語例ではほかに、「マンパワー」を「ヒューマンエフォート(人の努力)」や「ワークフォース(労働力)」と言い換える。「ブラザー(兄弟)」や「シスター(姉妹)」は「シブリング(男女の別のない『きょうだい』)」だ。「ヒー(彼)」「シー(彼女)」など代名詞は使わず、肩書や地位で呼ぶことも求めた。“

 ほとんど、ディストピアのように感じられます。

 特にブラザーやシスターを使わず「シブリング」と呼ぶようにするところなどは、オーウェルの「1984年」で描かれた管理社会でミスターやミスを用いずに「同志」が推奨されているという描写を彷彿させられました。

 おそらく、オーウェルは旧ソ連を参考にしたのですが、いまカリフォルニアがそこに近づいている。

 更には肩書や地位で呼ぶって辺りになると、性差別を平等化して権力による区分に着地しているという当たり、なんというかものすごいなあという感じがします。

 人が持つ性愛の方向性を回避して、人間をその人を保証する権力の所在とそこにおける権限の範疇で区分しようとするとは。いやはや。

 結局、マイノリティと呼ばれる人たち(私も含めて)が群れを成して運動を始めると、結局は前の権力を打破して成り代わろうとするだけに至るという、革命の理論がそこに浮かび上がってくるのではないでしょうか。

 ロシア革命もしかりですし、フランス革命の後のジャコバン派の恐怖政治(ギロチン政権)も有名です。

 我らが太平天国党の革命だって、あまりにも抑圧が強く詰まらなかったので内部から不満が起きていたくらいです。

 より正直に言うなら、ナチの論理と言ってしまいたくなります。

 前にも書いたように、人間から言葉を奪って権力が置き換えさせるというのは、思考力を奪って支配をしやすくするための洗脳手段です。

 群れを成して大声を出し、改革を迫る人達の力が、それぞれの個を離れて群れの力としてうねり出すことは、非常に危険なことのように思われます。

 太平天国の姿勢を継承した中国共産党では、紅衣兵が毛沢東の意図を越えて暴走し、その制御に苦労したと言う記録が残っています。

 自分自身と言う立脚点を離れた力は独り歩きして暴れ出す。

 そんなものを世の中に放り出すには、大変な熟考が必要なのではないでしょうか。

 一人一人が自分自身であるということに自覚的になり、その上で責任をもって生きて行くことだけが、本当に世の中を良い方向に向けて行くように思うのですが、その実現はとても難しいことなのでしょう。

 物事を政治というパワーゲームに矮小化した途端に零れ落ちる沢山の物が、本来は求められていた人間性という物であるように思います。


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