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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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ゲイ・パレードを観て

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 アメリカで、今年もゲイ・パレードが行われました。

 いまはそういう言い方はしないのですね、LGBTパレードなのかな?

 パレードの季節に合わせて、リル・ナズ・X君が自分が同性愛者であることをカミング・アウトして支持を得て、見事17週連続でヒットチャート一位になるという記録を打ち立てました。

 このようにして、時節を読んでそこに流れる力に長けた人というのはえてして浮世で利を得ることになるのでしょう。

 同様のことをしたのがアップルです。

 現在のCEOが同性愛者であるらしく、社を挙げてLGBTパレードに協賛、山車やダンサー隊をパレードに参加させました。

 一つの大きな力が波紋を呼んで次々に伝播するというのが気の流れです。アップルがやるならフェイス・ブック社もやります。フェイス・ブックがやるなら……と、あれよあれよと大企業が次々にパレードに参加しました。

 結果、人目を引く派手で美しい山車やダンサーが相次ぎ、いつもにもまして人目を惹くことになります。

 テレビのレポーターが、その中の元気よく踊るダンサーの女性にマイクを向けました。

 ダンサーの女性と書きましたが、トランス・ジェンダーかもしれないし、ただの女装家かもしれない。レズビアンかもしれないし、バイ・セクシャルやノン・セクシャルかもしれない。トランス・ジェンダーの同性愛者かもしれない。

 アイデンティティを聴くとそのダンサーの人は、自分はただ雇われただけのバイトでLGBTではないと答えました。

 大企業の参加により、このような人たちが増えて、すでにパレード参加者の多くは主旨とまったく関係のない人達になりつあるとのことでした。

 これが経済社会です。

 大企業や大統領選出馬を表明している政治家などが、機を観て主役に成り代わっている。

 経済と政治の力の前に、本来そこにあったメッセージやエネルギーは搾取され、乗っ取られてゆきます。

 まるで古代中国の故事のようなお話です。

 LGBTの人たちの中からは不満や抗議も出たりしたそうですが、しかしそこから彼等、政治と経済の利を求めて来た人たちを追い出すことも出来ない。

 もともとはLGBTの人たちが自分たちの政治、経済的な有利を求めて始めたパレードであり、そちら側の力を呼び込んだのです。

 パレードの後半になると「これが本来のゲイ・パレードなんだよ!」と喝さいを浴びている人たちの姿が現れました。

 だっさい古典的なレザーのポリス・ウェアに身を包んだむさくるしいマッチョのおじさんたちです。おじさんていうと差別なのか。写実主義ってことで一つお見逃しを。

 彼らの中に、全裸のおじさんもいました。いくら毛深くても陰部を隠しきるまでには及んでおらず、丸出しです。

「街頭で全裸になる自由を差別するな!」というプラカードを掲げていました。

 確かに、これが本来のゲイ・パレードなのでしょう。

 私にはなぜゲイがパレードをするのかということが分かりません。 

 何かとパレードやバーベキューをするという、アメリカ社会の文化だからなのかな、という程度の理解しか及んでいません。

 しかし、そういう土壌があるなかで、子供やテレビカメラが存在する場所で全裸になり、そうする自由を侵害するな! と抗議をする変態が居るということが、このイベントの趣旨に繋がるのでしょう。

 ひそかにやってればいいのに、と思ってしまうのですがそうではないのでしょう。

 街中で裸になっただけで犯罪者扱いされる社会の在り方そのものに異議を唱える。

 小さい子供に裸の陰部を見せつけただけでまるで邪悪な人間であるかのように扱われる世の中に対して身体を張って抗議をしているのでしょう。

 私にはまったく理解できないし、これだから変態は、と思ってしまうのですが、現在の良識なんてこの百年程度でそれこそ政治や経済がでっち上げた物にすぎません。

 裸を見せるのがダメなら古代オリンピックもダメになってしまう。

 そもそも自然のままに生まれ付いた人間の命の美しさへの冒涜なのではないか。誰にだって当たり前についている裸という物を隠すのはむしろいやらしい考え方なのではないか。そのように考える人が居てもおかしくはありません。

 キャリステニクスの思想は、そこから生まれています。

 古代ギリシャ語の、キャリスとステニクスという言葉がキャリステニクスとなったそうなのですが、意味は「美しい身体」。つまり、オリンピックで全裸になって神にその美をささげるための肉体の作り方です。

 また、気功の方面で言っても、中国ではいまにいたるまで野人信仰があります。

 全裸で山野に隠れ住む人を、自然のままの神聖な存在だと考えるのです。

 なので、私個人のちっぽけな価値観では全裸パレードおじさんを判断することはできません。

 むしろ、どうせ裸を観たいのにその前にセーラー服やら看護服やらを着せているのが好きだと言う現代日本人のアダルト・コンテンツの嗜好の方が変態なのかもしれません。

 うーん、自分で書いているうちに本当にそんな気がしてきました。怖い物です。

 価値観と言う物もまた、陰陽であり、相対的な物なのでしょう。

 LGBTパレードの参加者の人たちは、声をそろえて「ホモ・フォビアは出ていけ!」と叫んでいました。

 同性愛者を恐れる人たちを弾劾している訳です。

 それを、出ていけと訴えている。

 同性愛者は出ていけとか、人前で全裸の奴は出ていけと訴えている人と、同じことをやり返している訳です。

 これはやはり、社会的な力の取り合い、パワー・ゲームだと言って良いでしょう。

 それはやはり、政治や経済の有力者に乗っ取られてもおかしくない構図だと思われます。


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