玄奘三蔵法師亡き後、改めて天竺にお経を取りに行った義浄法師の小説を読み終わりました。
義浄さんは海路で天竺に行ったことが最大の特徴であり、それこそが我々南派少林拳の伝播ルートだとも言われています。
私のフィールド・ワークの旅もここに準じているのですが、その途上で見過ごすことの出来ない土地があります。
それが、室利仏逝国と漢字で表記される、シュリーヴィジャヤ国です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/シュリーヴィジャヤ王国
この国は、七世紀から興ってタイ南方のチャイヤーからマレーに渡って広がっており、マラッカ海峡の貿易を支配していて、インド、中国間の航海の中心となっていたようです。
ウィキペディアによると、マレー、インドネシア、フィリピン文化にも影響を与えたともあります。
元々はヒンドゥーの国だったそうなのですが、唐の時代にはインド、中国と並ぶ巨大な仏教国となりました。
義浄さんもこの地でひと月ほど過ごして、上座部仏教のフィールド・ワークをしたようです。
ここで我々仏教武術家にとって大事なことに目を向けてみると、元々ヒンドゥー時代があったということは、その段階でヒンドゥー系のヨガやルーシーダットンが伝播していたことが想定されます。
その後、仏教が発展したということは、そこに仏教武術も伝来したということは間違いないと思われます。
なにせ、ここを経て中国までカンフーは伝来するわけですから。
ただ、ここで枝分かれした可能性がありえるのです。
中国に渡ってカンフーとなった物が、マレー、インドネシアではシラットとなり、タイではガビー・ガボーンとなったのではないかと思うところがあります。
もちろん、この時の伝播はあまりにも古すぎるので、上書きされすぎてもはや形跡がほぼ発見されなくなっているかもしれませんが。
とはいえ、ここで文化圏が形成されていたという事実は不変な訳で、それを土台にした交流は以後も続いています。
フィリピン武術とマレー武術の相似点などは、そのルートで成立したのではないかと思っています。
例えばクンタオ・シラットなどは明らかに後の時代、明あたりにおいて福建の海賊がもたらした福建南拳が由来なのは間違いないのですが、その伝播の前にまずシュリーヴィジャヤ時代のシラットがあり、その継承者らが明の時代以降にアップデートする形で派生したというように。
時代ごとに、武術を実用している人々が最新技術に上書きしてゆくということは確実に行われてたでしょうから。
エスクリマが直接のルーツをスペイン剣術に持ちつつ、土着の色合いを強く持つに至ったのは、第二次大戦以降のアップデート以前の要素を持っていると考えた方が自然であるように思うのです。
それらが、いわゆる古いエスクリマ、伝統的なエスクリマの根っこにはあるのではないかと思うのですがどうでしょう。
このアップデートの目で見ると、マレーにおいてシラットがイスラムの武術となっていったのであろうということも想像が出来ます。
なにせ、ヨガが気功と禅に、カラリパヤットがカンフーに変化してゆくだけの歴史的経緯が等しくあったわけですから。
そのように、海賊武術の歴史において非常に重要となるこのシュリーヴィジャヤですが、現在のタイ南部にあたるチャイヤーは王都だったともいわれています。
チャイヤーには、ムエ・チャイヤーという古式ムエタイの一派がいまでも行われてると言い、その姿はYOUTUBEで沢山みることが出来ます。
https://www.youtube.com/watch?v=cW9gn96jwCY