八村塁選手が、NBAのドラフト指名されたことがニュースになっていましたね。
世界中のバスケット・ボール・プレーヤーのうち、これはたったの60人しかいない物だそうで、これは、0・03%の確率に当たると言うことらしいです。
当然、日本人初となります。
それだけのすごい選手だということなのですね。
その八村選手に関する面白い記事が新聞に話題になっていました。
いまから三年前、彼がアメリカの大学にいた時代、体育館でバスケットの練習をしていると、そこに驚くほど上手なおじさんが居て、彼が色々なすごいテクニックを教えてくれた、というのです。
そのおじさんが、同大学出身の伝説のバスケット・プレーヤーと言われるジョン・ストックトンさんという方だったそうで、この話を受けてネット上では「マンガのヒーローかよ」と言う声が沢山上がっていました。
近所に伝説の名人が居て、ただのおじさんだと思っている少年に教えてくれる、確かにこれは少年漫画や武侠小説の主人公のようなエピソードです。
食べる物に困っているホームレスに食べ物を分けてあげていたら、それが伝説の拳師だった、というのはジャッキー・チェンの蛇拳の話ですが、これは実際だとされている拳法家の伝説にまま見られるお話です。
そしてさらに言うと、私は割と本気で、自分の周りの人たちはみんな少年漫画や武侠映画の主人公になる資質があると思っています。
なぜなら、隣に私が居るからです。
いまの日本で、これだけ正統な功夫の伝承をした本当の師父で、かつその伝系の研究をフィールド・ワークしていて、それを普通に伝えている人はまずいません。
人類史に面々と繋がれてきた本物の武術を、傍にいるおじさんにまるまる手渡されることが出来る。
これは充分に主人公の素質でしょう。
私はそれが無かったから、いまでも世界中を旅しています。
その世界の集約が近所の公園に……。
ただ、人生の中にあるその種子を伸ばさないのは当人の意向となります。
このお話をしていて思い出したのが、列仙伝だかにあった仙人のお話です。
その仙が城市の通りにいたところ、一人の男が自分は運がない、貧乏だ、他人が悪い、と愚痴っているのを耳にします。
するとその仙はにやりとあざ笑います。
というのもその仙には、その男の足の下に黄金があるのが見えていたというのです。
お宝の上に立っていながら不平不満に終始している人の姿をあざ笑っているのですが、この話はアーサー王伝説の魔法使い、マーリンの逸話としても同じものが伝わっているので、あるいはギリシャ時代のアイソポスあたりの寓話がシルクロード時代にユーラシア大陸全般に伝わったものかもしれません。
ここでマーリンと違って笑うのが仙人となることで自分が感じるのは、ここで黄金として比喩されているものがもしかしたら、すぐそばに英知を授けてくれる仙がいるにも関わらず、助けを求めるのではなく愚痴をこぼすだけで好機を無駄にしている小人の生き方を揶揄しているのではないか、ということです。
おそらく、自らの生に自ら責任を持って常に何かを感じてそこから正しい物を得ていく人であれば、そのようなことはしなかったのではないかと思います。
そういった人々が、あるいは弟子入りして仙になったり、宝を与えられて幸せに暮らす、という話もあります。
武術の逸話である場合には、その伝を得て中興の祖となったりもします。
さて私自身、次につながる道ののために、また来年修行の旅に出てまいります。
もし誰も、この学問を継ぐ人が居なかったおりには、ここに書いている文章がその記録のすべてになることでしょう。
ということはつまり、ネットでなんとなくこのページを見ている人にも主人公の資質はあるということですな。