タコというのは、八本もある複雑な動きを制御するために、足の一つ一つに脳があるのだそうです。
そして、それらに力を送るために心臓が三つもあるのだそうです。
このように、自然界の生物には人間の常識を超えた構造というのが当たり前に存在します。
そして、人間というのは胎児の間に、魚類から哺乳類への進化を経るのだといいます。
気功学では、元神という人間の中の動物的な部分を復旧させることを目的としていますので、様々な動物の様相を中国武術では求めることになります。
というわけで功夫の話に入るのですが、我々の武術ではまず勁という元神による力を取り戻すために、指先を改造のとっかかりにするのですが、それは指というのが最も人間的な部分であるからだと思われます。
人間という果てしなく弱い生物が、ほかの哺乳類に比べて優れている数少ない部分の一つが、器用な指先です。
器用な指先と巨大な脳みそ、恒久的な二足歩行、および常時発情できるというのが人類の特色です。
これらはみな繋がって一つの構造となっています。
二足歩行ができるので手指と脳みそが発達し、そのためにホルモンバランスが変わって常時発情できるようになったのでしょう。
この手指の繊細な神経なのですが、それを所有したことによって指は作業部位であるだけでなく感覚器官としても発達しました。
それによって、人間としての脳の働きに直結しました。
つまり、もっとも人間的であり、本能の働きと相反する部分ということです。
なので、ここを改造するところから神経の改造に取り組み、そして脳を、と末端から内側に改造を推し進めてゆきます。
このことを洗髄と言います。
神経を洗濯するわけです。
その指先というのは、非常に奇妙な部位であるというのはコンヴィクト・コンディショニングのポール・ウェイド先生です。
というのも、指を動かす腱はそこに直結した掌や手首の筋肉では操作されず、肘関節部分の筋肉によって遠隔操作されているからです。
肘関節までの前腕の部分というのは、気功において最初歩の感覚器官として用いられる部分です。
なぜここが敏感なのかというのが、この指先の神経が通っている部分だからなのではないでしょうか。
これが、肘を超えて上腕になると途端に感覚が鈍くなります。
つまり、タコの足にある脳みそに似た存在として前腕の付け根辺りが機能していると思うわけです。
そして、少林拳独特の概念として、外三合という体の構造の区分法があります。
手は足と同じ、肘は膝と同じ、足の付け根は肩と同じである、という概念です。つまり、四つ足動物と人間の共通に考えるということですね。
それでいうと、この手の話はつまり前足の話であり、後ろ足にも同じことが考えられます。
つまり、足指はふくらはぎで遠隔操作されている訳です。
そして、ふくらはぎもまたタコの足の脳だという理屈が成り立ちます。
では、その足に力を送るためのタコの心臓はどうなるでしょう?
これが、下丹田と中丹田です。
骨盤腔と胸郭腔の部分が、それぞれ後ろ足と前足(手)の力の中心となる場所です。
インドではそういった体の中心の力の集まる場所として七つのチャクラが想定されました。
これはどうやら現代医学でいうと神経叢の場所と重なっているそうです。
しかし、中国にこの内功の学問が伝わったときに、七つのチャクラのうち四つがスポイルされて三つの丹田、三丹に省略されてしまいました。
この失われた部分を復興させて取り込みなおしてくれたのがうちの派ではどうやら謝明徳大師であるようなのです。
体のあちこちにある、神経の伝達システムを洗髄してゆくことで、人間の体を人間としての使い方から動物の使い方に変えてゆきます。
これを易筋と言います。
易とは変えるという意味、筋とは現代で言う筋肉のことだけではなく、体を通っている様々なスジや筋膜を含みます。遠隔操作している腱ももちろん含まれます。
こうして、神経を洗練させ、筋を変えてゆくことで体の根本を改定してゆくのです。
これは生物としての変化であり、人間のままの状態での技やらなんやらとは根本的に違うものです。
そのために、技術論やらなんやらは本当の中国伝統武術では不要な物であるとしている訳です。