以前、友人に三蔵法師になぞらえられたことをよく覚えています。
決して頭髪の塩梅に関して言われたのではなくて、外国に行って経典を持ち帰る、というフィールド・ワークに関してです。
経典と言うのは中国ではよくつかわれる言葉のようで、お手本とか正しい教えの具体とかを意味するニュアンスだと介しています。
つまり、本当の三蔵法師で言うなら般若心経のお経のこととなります。
こと具体ということになると、木簡であったりなんだりとして、そこに書いてある文字を読まないと意味をなさない。
コンピューター・ゲームではないので、アイテムをゲットした瞬間にその能力が持ち主に宿ったりはしません。
なので、持ち帰った後で翻訳して意味を理解し、さらにそれを身に着けるということにものすごく時間がかかることになります。
実際、唐の時代に持ち替えられた般若心経は、翻訳のためにものすごい数のエリート僧が集められて、数年がかりで作業が行われていました。
以前にここでも書いた義浄さんはその最中の時代の人で、だからこそ天竺からお経を持ち帰っても都は何も変わっていないではないかと苛立って自ら天竺に向かったのだと言います。
世の中を救うのには何百年も何千年もかからないとは誰も言っていないようにも思うのですが、どうも義浄さんはかなり短気な方だったようですので。
とはいえ実際、翻訳の最中に三蔵法師は亡くなってしまったので、その効果は生存中に見ることはできなかったのは間違いがありません。
私の仕事においては忘れてはいけないのがこの部分で、三蔵法師のように持ち帰ることまでをもって知足し、義浄さんのように急いてはならないと思っています。
とにかく正しい物を持ち帰りさえすれば、それはいつか根付いて広まるはず。
それを待てずに途中で焦って自己流に改訂したり意訳したりしてゆくと、単なる自己流になってしまって普遍性が乏しくなるのではないでしょうか。
日本でも、有名な「嘆異抄」という有名な仏書がありますが、これは正しい教えが伝わっていないの嘆いているという意味で、異を嘆く抄と言うタイトルが付けられているほど、経典が正しく残されるというのは難しいことであるようなのです。
まずは正しい物を持ち帰り、確固たる物として保存する。
それから丁寧に時間をかけてそれを翻訳してゆき、身に着けてゆく。
だからまずは持ち帰らないと。
その、経典を得るという正統性と持ち帰るということが私の役割だと思います。
本当の意味でそれを体得するのは、その先に居る生徒さんたちの仕事です。
もし残ってさえいれば、百年後でも二百年後でも誰かがやりたくなったときにきちんと体得することが出来る。
もちろん、私自身も常に翻訳と体得はし続けてはいます。
最近、ようやく五年ほど前にいただいた太平天国拳の一つ、国拳が出来るようになってきました。
師父からいただいたときには覚えはしたのですが、覚えてなぞることが出来るだけで出来るようになったとは当時からまったく思えていなかった。
そういうのは沢山あります。
それでも出来るまで待ってから次に行くと言うのではなく、套路に関してはとにかく一定のところで相伝して保存を優先することが珍しくません。
そのため、与えていただいた遺産は一生かけて取り組むことが出来ます。
形や順番を覚えた段階で勝手なことをするなどもってのほか。
となると、当然経典を翻訳するための能力が必要になるのですが、それこそが師父が練習時間に仕込んでくれるものです。
この兼ね合いによって、同じ物を相伝した生徒の中でも中身の違いと言うのが生まれてくることがあります。
経典と翻訳、どちらもおろそかにしてはなりません。