今一番面白く読んでいるのが、ベストセラーの「村上海賊の娘」です。
海賊気質と言う物が非常に魅力的に描かれているし、私が育った兵庫の辺りの関西気質もとても共感できます。
また、大男マニアの私からするととても良い大男物の作品でもあります。
さらに良いのは、タイトルにある通り主人公は女性なのですが、この子がただ生まれながらの財産だけで甘やかされてきて、うるさいから面倒くさがられて相手にされてこなかっただけなのを自分が強いのだと勘違いしている、という現実を明確に正面から書き切っているところです。
魅力的な主人公の甘えを、きまずさに斟酌することなく正面から喝破するという作りは実にお見事でありました。
それをする大男ら関西ノリ海賊衆も、ジブリ映画的な嫌味はないけど限りなくシビアな男たちで、タイトルと表紙の絵から女の子の目から見た甘い世界とは離れた本当のことを堂々と語っています。
そのすべてが、露悪的であったりしないというのはやはり作者の和田竜氏の手腕によるものなのでしょう。
そのような小説としての質の高さの中、私の研究課題である海賊衆のことが読めます。
これまでのところで特に興味の惹かれたのは、海賊衆の戦法に関するこのような記述でした。
村上海賊に伝わる軍書、合武三島流船戦要法にある文「敵船に飛び乗らんと欲せば槍を捨、刀を抜て艫えを切て廻るべし。兵士加子の撰無く、あたるに任せて切(る)事」とあるそうです。
これはまさに、我々海賊武術の当たるを幸い薙ぎ倒すの思想です。
敵の船に飛び乗る時は、それまで使っていた長柄の兵器を捨てて、刀を持って乗り込んで行き、相手方の兵士や水夫(加子の字があてられている)の区別なく、船の艫でも柄でもまとめて当たるを幸い切りまくれ、ということです。
一人の相手に取り組まず、回転技法の練習も常にしておいて、四方八方まとめてやたらめったら打ちまくるということでしょう。
そうしながら相手勢を推しこみ、船を破壊してゆく訳です。
現代格闘技の思想からすればまったく想定されていない考えでしょうが、往時の海賊武術においてはこのようなことが常套であったのでしょう。