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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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目を閉じておいでよ

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 気功の本を読んでいると、古い書物の中に「まずは目を閉じることだ」と書いてある物がありました。

 人間の感覚の多くは目によっており、それを閉ざすことで他の器官が感じていることが自覚できる、という物のようです。

 これは、陰陽思想における元神と識神の関係を良く表していると思います。

 識神という自我が、元神という体の感じていることのすべてに常にフォーカスするということはきっと不可能なことでしょう。一度に近くできる感覚はどうも限られているようです。

 そのために、普段は視覚に集中しがちな自我を、瞑目することで他に向けるということなのでしょうが、ここで注意したいのは、元神が絶対であるというわけではないということです。

 人間は後天的な学習が常々行われていて、意識がそちらにゆきがちなので、時にはそれを中庸に戻そうというのが趣旨であって、決して肉体の持つ感覚が万能であるということではありません。

 確かに、動物たちは人間からするとすごい能力を持っていますが、そればかりに捉われては人として生まれてきた甲斐がないという気がします。

 中国の神話に出てくる神様や半神は、首だけが動物であったり、逆に顔は人で体が鳥などであったりするように、動物性を強く備えているというのが神性として見受けられますが、それでも常に人としての部分もあります。

 この協調こそが陰陽の調和であり、最も重視されている中庸という物だと感じます。

 時には目を閉じることは道のりとして必要だと思いますが、目を閉ざして生きてゆくことは決してただしいことだとは思いません。

 苦しみや悲しみ、辛いことから目をそらさず、可能な限り直視をしてゆくところにこそ、人間としての気高さがあるように感じます。

 耳に心地よい言葉や、甘いポジティブさで思考停止をしてゆくことは決して良いことだとは感じられません。

 哲学の価値は、それまでとは見えていた景色の意味が変わることだといいます。それによって、目をそらさずにいながらにして、そこに新たな価値や行動指針を見つけることが出来ればどれだけ素晴らしいかと思います。

 思想の体現としての中国武術や気功を体得することは、そのようなことだと思います。


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