こないだラジオに出ていた生物学の先生は、禅をしているという人でした。
専門はナマコの研究で、ナマコというのは生命とは何かという概念を根本から変える存在だというお話です。
というのも、ナマコは仮にも微生物でもあるまいに、脳みそと言うものがないそうです。
それどころか、心臓もない。
では何をして生きているのかというと、何もしていないのだそうです。
これは、禅の究極の姿ではないか、とその先生は思ったのだといいます。
何もしないをしている。
ちなみにナマコは脳も心臓も無いのですが、消化器官はあります。
それで一体何を食べているのかというと、土なのだと言うのです。
海底の土は微量の微生物や有機物を含んでいます。
それを栄養としている。
何もしないし脳も心臓もないからそれで充分なのだというお話です。
それは……まるで仙ではないですか。
気功、タオの極致であるようにも取れます。
人間が考える命と言う物の概念をまったく取り払った命、それがナマコにはあるのだそうです。
それを語る先生が言ったのは、人間をはじめとするほとんどの生物が自己の拡大のために生きていると。
脳でものを考えたり心臓を使って行動しているするのはみなそのためであると。
子孫を増やすというのはまさにそのための行動であると言います。
これは、史記で語られている、我が家の安寧のことばかり考えている小人というのと同じことではないでしょうか。
「子供のため」「自分はいいの、母親だからこの子だけは」という考えは、昭和までは美談のように語られていましたが、古代中国の考えで言えばそれこそが小人のエゴ。それが生物学的には本能的なエゴだといま裏打ちされたわけです。
その我がままを離れて生きているのが、ナマコです。
ただ生きている。
人間はどうしても人間の概念の中でしか命というものを想像が出来ない。
気功で自然の命についての理解を深めようと思うなら、このナマコのような命もあるということを想定しておいたほうがいいのかもしれません。
少なくとも、そうすれば一見美談に思えるような欲求も自分のエゴだと省みることが出来るていどの自浄作用は得られるかもしれません。