「北に太極あれば、南に蔡李佛あり」
この言葉を始まりに二つの拳法の流れを見てきたのですが、そこで見えてきたのは、太極拳の陰には常に騎馬民族がいる、ということが一つ。
モンゴルの元や女真族など、常にその姿が垣間見えます。
結果、女真族の清朝の時に楊式太極拳として満州族のお抱え拳法となるところまで込みで一つの流れとなっているかのような感があります。
逆に、蔡李佛の歴史を追いかければ、常に賊の影が見えます。
影どころか真っ黒です。
倭寇の時代から始まって海賊、反乱軍、果てはサンフランシスコのチャイニーズ・マフィアの始まりにまで至りました。
南倭北慮の言葉通りのことが見えたように感じます。
これはつまり、中国の戦争の歴史であり、ユーラシア大陸の大部分を支配したモンゴルと、北アフリカから南米にまで繋がっていた南シナ海との折衝からくる歴史の記録そのものであるように思えました。
この、西洋、東洋の混交と闘争の人類史が、最後にはアメリカに至って地下帝国を作るに達するということにまで繋がっていたということが、今回の稿において見えてきたもっとも重大なことであったように思います。
カンフーは生きています。
歴史における脈動が、そのまま現代社会にまで伝わっている。
だからこそ、カンフーは面白い。
世界は本当に面白い。
その面白さがどこかの誰かに伝わっていたなら、ここで文を書いている甲斐があるというものです。