社会とは、そもそも弱者のためにある、と観たのはラカンだったか。
そう。
ナマの生を生きるのだったら、弱者は自然淘汰されて強者が生き残るだけです。
強者とは即ち、環境に適応した物だと言うことになるものだと思われます。
人間というのは、社会を形成する群生相の生き物です。
となると必然弱者が群れの中で役割を持って生きてゆく、というのが本質的な構造であるともいえるのではないでしょうか。
この社会形成という本能を具体化させるものとして想像されたのが貨幣であり経済ということが出来るように思います。
社会が形成されるまでは、人間にとっての脅威は外部にありました。
荒れ狂う自然や自分たちを捕食する動物たちの存在に対して、人間はフォーメーションを組んで対応することで種の保存を行ってくることができました。
しかし、その社会が拡大し、自然環境に大きな影響を及ぼすほどになってくると、今度は人間にとっての深刻な脅威は同じ社会の内側にある人間であると言えるようになってきます。
自然災害や動物によって失われる命よりも、人間によって失われる命の数の方が増えてくる。
それだけ人間の社会が物理的な拡大をしたということです。
そうなってくると当然、社会の中で幅が出来てきます。ダイバーシティです。
それによって、文章だけ書いて一日デスクワークで生きる人間と、相変わらず大自然の脅威にさらされる人間とが分かれてきました。
モンゴル帝国と中華、イスラム圏の文化的すれ違いというのはこの辺りを如実に見ることができます。
死ぬか生きるかという生を生きてきて、どちらかの部族が皆殺しになるという戦いの中で突然交戦相手が「待った! この珍しい光る石をやるから助けてくれ!」と言い出したら、モンゴル側がきょとんとなったのは当然でしょう。
反面西洋では古代ギリシャ文明の時代から経済という仮想概念への信頼は極めて高いものでした。
ぴかぴか光る珍しい石、貨幣を集めれば奴隷でさえ自分自身を主人から買い戻すことが出来た。
そうして自由階級となり、市民権さえ得られた。
つまり、人間の命はすでにお金で買えるものだった。
というか、もう人生と言うのはお金を出して買う物になっていたと言ってもいいのではないでしょうか。
文明と言うのは、大河に沿って生まれます。
川の水によって農耕が出来るので、耕作物の取引が生まれる。
川沿いの土地の分配は土地の所有と言う概念によって行われます。
また、収穫物は船によって流通されます。
社会が生まれて急成長してゆく要素がそこには集中しています。
その大きな流れの一つである黄河文明から外れた辺境の地であり、万里の長城によって隔離されていたのがモンゴル族ら騎馬民族の社会です。
そこでは寒風が吹き荒れ、水は凍り付き、獣は人を襲います。
放っておけば人間は減るばかりで増える要素が少ない。
農耕は出来ないししない。
だから土地を所有せず遊牧する。
さらにはモンゴル族には川に入った物は死刑という謎のおきてがあるので流通にも移動にも川が使えない(一年の半分は凍結しているのでそこを歩いて渡るのはOK)。
もうほとんど文明の成立概念の真反対を行っているような状況です。
それは貨幣ではなんの役にも立ちません。
こういった、大草原や砂漠と言った過酷な自然環境の中で生きるには、対人間ではなく対世界そのものの生き方をしていかなければなりません。
光る石で命を売り買いしてる暇はない。
そういった中でユダヤ教、キリスト教、イスラム教と言った砂漠宗教(アブラハムの宗教、聖書宗教)が生まれたのですが、それらの地域の古い時代の掟は「目には目を、歯には歯を」というハムラビ法典でした。
つまり、変な珍しい石とかでことを購うのではなく、やったらやったなりのことそのもので対価を購うという考え方です。
命に金額をつけるのではなくて、命の対価は命です。
ハムラビ法典というと現代人は残酷な復讐をする間違った教えのように恐れる印象がありますが、本来は公正な法を説いた物でした。
このような公正な報復を、英語ではAVENGEと言います。
アヴェンジャーズのアヴェンジです。
個人的な意趣返しではなく、横暴によって崩された調和を回復するための報復と言う意味があります。
こういった言葉は日本には無い物ですね。
キリスト教徒イスラム教、ユダヤ今日がぶつかる中東問題で報復と言う言葉が常に取沙汰されることには、このような背景があります。
つづく