ある一定の時期までは、合理的な有効性があった社会上の共同幻想が、その用途が不要になったあとでかえって問題の種になる、ということを書きました。
この問題は、人類全体の共通の問題です。
生命には種の保存という大前提があります。
そして人間というのは交配によって繁殖する生物なので、必ず種の保存のためには特定の個体数が必要となります。
それを確保するための方策として、社会を形成するという能力が本能に備わっていました。
しかし、厳しい自然環境の中で種を絶やさないためのその能力が、すでに自然を圧倒するまでに至った社会環境に至っては意味が変わってしまっています。
これは非常に不道徳なお話になるのですが、例えば人間が自然と直対面して生きていた時代においては、交配というのは生命を繋ぐための非常に深刻な問題でした。
モンゴル族やヴァイキングなどの襲撃における強姦行為には、北国の厳しい生存環境における種の保存という目的が本能から来ていたことは想像に難くありません。
世界で最も美しい女性が多いと言われるウクライナを調査した人は、結局歴史的に多くの国家に侵略されてきて多くの血が分配されてきたために万人に通じる美観が備わったのだという説を提唱していました。
これは、常時自然が人間という種を殺しにかかっている環境下においては種の存続のために必要なことだったと言うことが出来ます。
砂漠宗教における聖書の物語は、血族の交配は重要だから嫁はしっかり選べ、という教えが根底に流れていると言います。
いわゆる、嫁取りの物語というのはこのような背景によって語り継がれています。
世界中にある、英雄が道の場所にまで行動範囲を開拓し、言った先に未知の土地からもたらした恩恵をもたらし、そこで伴侶を得るという物語です。
これはつまり、交配と繁殖ということですね。
このことが種の存続ということにおいてどれだけ重要かと言う一例が、やはりチベットにあります。
前に書いたように、チベットと言えばヒマラヤ。その過酷な高地での環境というのは、元々ホモサピエンスにいは生存不可能な場所だったのだと言います。
科学的素養が全くないのでウィキペディアを参照しますと“ヒトは酸素の薄い環境下ではヘモグロビンの量を増加させるEPAS1を持っている。しかしヘモグロビンを増加させすぎると、高血圧症や新生児の低体重および死亡の原因となる。しかしチベット人は
ヘモグロビンの生産量を抑制するようにEPAS1が変異しているとされ、これはデニソワ人と交配した結果獲得したとの説がある
。これにより、チベット人は高地での生活に適応したと言われている”とあります。
ヒトは、から始まってデニソワ人と、と来ると言うことは、デニソワ人はヒトではない?
あるいは尋常の範囲におけるヒトの範疇からはみ出るということに読める文法です。
これはデニソワという国の人という意味ではないな? と思ってさらに調べるとヒトはヒトなのですが、ネアンデルタール人と並んでホモサピエンスに近い化石人類である、ということが分かりました。
そう。我々ホモサピエンスとはちょっと違う種の生物なのです。
この種との交配によって、チベット人はそのほかの人々とは違った生理機能を得たと言うことです。
こういった環境に対する生存能力の改善ということが、交配ということで得られる物です。
よって、生物としては広範囲的に多様なタイプの遺伝子をハイブリッドして行った方が存続と言う目的にはかなうと言うことになります。
しかし、当然ながら社会化が進んだ環境下では当然合意無き交配は許されるものではありません。
人権という概念が存在します。
社会の形成と言うのは、経済によって人間に値段が付いたときから始まると書きましたが、それはつまり、その価格の所有者の権利を人権と呼ぶということとも言えませんでしょうか。
次回はその、社会化と交配についてのお話から始めてみましょう。
つづく