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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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海賊武術の周辺 3・ローマとイスラムとキャリステニクス

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 イスラムの武力が東ローマに向かったということを前回は書きましたが、今回はまず、その西洋圏における海賊の歴史を書いてゆきたいと思います。

 一般的に「海賊」というと西洋の海賊を思い浮かべる人も多いのではないかと思います。

 ヨーロッパの文化が地中海を中心に、ヨーロッパ、アジアとアフリカを繋いで発展してきたことを考えると、ある意味海賊の出現は必然です。

 歴史に残っている最初では、すでに古代ギリシャの段階で彼らは存在し、しかも散漫な地方の小盗ではなく海上の武装勢力として存在していたとあります。

 すなわち、海上の豪族です。

 紀元前六世紀、エーゲ海のサモス島に生まれたポリュクラテスという人はそこで反乱を起こして支配者となり、エジプト王と友好関係を結んでそれをバックに次々とエーゲ海の島々を侵略していったのだそうです。

 同じ時代のサモス島の人であった、数学者のピュタゴラスなどはその蛮風を嫌ってイタリアに移住してしまうのですが、彼の海賊行為はギリシャ全般では決して非難される物ではなかった「海賊の世界史」と言う本に書いてあります。

 ヘロドトスはポリュクラテスのことを「海上制覇を企てた最初のギリシャ人」と書き「ギリシャの独裁者中、その気宇壮大さにおいてポリュクラテスに比べうる者はいない」とまで書き残しているのだそうです。

 これは、古代ギリシャの考えでは、気宇壮大で略奪などを平然と行う気風が、神話の神々に伝わる英雄性だと見なされていたからだと言います。

 私は子供の頃から、ギリシャ神話やアーサー王の物語にあこがれて育ってきたのですが、それらの中にどうしても腑に落ちないところがいくつかありました。

 登場する英雄たちが、略奪や侵略、復讐や略奪婚などを当たり前に働くことです。

 また、ヘラクレスの男色などもちょっと理解できないところがありました。

 しかしそれらこそが、ギリシャ神話的英雄性だと見なされていたといわれると、文化の違いとして納得できるところがあるように感じます。

 この文化の差はギリシャ文明を引き継ぐローマ時代にはすでに生まれていたらしく、古代ローマの歴史家キケロは「海賊は人類共通の敵」だと言っていることから想像できます。

 これは、ギリシャがだいぶ野趣にあふれた文化を持っていたのに対し、ローマは現在の西洋の基盤となる理性的な、ある種の倒錯的な頭でっかち的文化をよしとしていたことの反映でもあるのではないでしょうか。

 その、海賊が気宇壮大な英雄ではなく迷惑な敵となったローマ時代に一つ面白い話があるのでご紹介いたしましょう。

 それは、かのユリウス・カエサルが若き日にロードス島で遊学を終えた帰り道、海賊につかまって人質になってしまったというお話です

 カエサルはその頃から傍若無人で、自分を捉えている海賊たちを手下のように扱って食事を運ばせたりしていたようなのですが、そういった中の一環で、彼らと一緒にゲームや詩の朗読会をしたり、体育訓練をしていた、というのです。

 この体育訓練、これ、キャリステニクスでしょう。

 ここなのです。

 ポール・ウェイド先生はキャリステニクスはローマ時代以降一時廃れたがそれはイスラム帝国に伝播して広まっていたので、のちに西洋に再輸入されたと書いていますが、その経緯がいままさにこうして書いているところです。

 前回の記事の最後に書いたように、東ローマにイスラムの聖戦勢力が到達します。

 

                                                                      つづく


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