前回は、玄奘三蔵法師とムハンマドが同時代であるというところまで書きました。
彼はもともとは商人でしたが、富裕な女性商人と結婚して豪商となりました。
四十くらいの時に瞑想をしていたところ、天使ガブリエルに啓示を受けたのがイスラム教の始まりだと言います。
これは、西暦で言うと610年のことだと言いますから、すでに7世紀には宗教者でなくても瞑想をする風習があったのですね。
そのころの中東は多神教が一般的だったそうなので、日本で言う神道のような信仰だったのではないかと思ったのですが、もしかしたら宗教とは別に生活習慣として瞑想というものがあったのかもしれません。
ともあれ、啓示を受けたムハンマドは世界的な宗教者になるのですが、初めは親族や一家の物に教えを説いていただけだったようです。
面白いのは、このムハンマドの一家というのはただ交易だけをしていたのではなくて、武装集団でもあったようだというところです。
これは当時の一般的なことだったのかもしれませんが、中国でも〇家拳と言われるような武術が富裕な一家の内々で伝えられてきたことを思うと、いわば一つの豪族勢力だったと考えた方が良いのかもしれません。
ムハンマドはそういった武力集団のリーダーとしても知られていたらしく、部族間の争いの調停者として依頼を受けたりしています。
そういった経緯の中で彼はシンパを集めて、自身の教徒を増やしていったのだそうです。
やがて、彼の武力集団そのものがイスラム教徒として武力集団になっていきました。
これは武術史として見ると非常に興味深い物です。
中華圏の〇家拳と同様のイスラム武術と言う物が、武力集団という前提上、存在していたことが想定できるからです。
これが、のちにシルクロードを東に向かう回族武術に繋がった可能性を考えると、後代の少林武術のアップデートに含まれた可能性もありえます。
そう言った彼らの勢力はやがて一万を超すほどになってゆくのですが、これは当時の現地では非常に大きな勢力だったそうです。
彼らの勢力は、ある都市を攻めるときには入信して仲間になるか、それとも入信はしないが和解金を支払うかを選択させたそうです。
なんだかほとんどチンギス・ハーンと変わらないような気もしますが。
このような強談判による人員および領土か資本の拡大を、彼らはジハードと呼んでいました。
ウィキペディアを見ると、ムハンマドに関して「宗教家 軍事指導者、政治家」と書いてあります。
キリストが大工や羊飼いと呼ばれるのとはまるで違った、極めて現代的で実質的な人物であることがうかがえます。
そして、中華に向かった回族があらかじめ聖戦のための武力を保有していたことを想像に難くない。
彼らの勢力は、この聖戦を繰り返して勢力域を伸ばし、やがて東ローマにまで至ります。
そこはまた、まるで別の歴史の流れを持った場所でした。
つづく