南派中国武術の歴史的変遷を研究してきて、それが革命と海賊の武術であり、フィリピンでエスクリマと結びついていったことをレポートしてきましたが、2020の段階でのまとめとして、最近読んだ本からの知識も含めつつ、新しい切り口で書いてみたいと思います。
南派少林武術は嵩山少林寺をその精神的ルーツだとしていますが、それはすなわち仏教の行であったということです。
その祖として達磨大師が仮託されていますが、大師が渡来したのは宋の時代だとされているのに対し、少林武術はすでに唐の時代から知られていたと言います。
十三人の武僧が皇帝を守ったというようなお話があります。
これはもしかしたら後世に作られたお話かもしれませんが、唐の時代に現在の物以前のプレ少林拳のような形で武術が行われていてもおかしくはありません。
というのも、仏教とともに行としてのヨガ(瑜伽行)が伝わっていたことはあって当然であるように感じますし、そのヨガとはすなわち、カラリパヤット(武術)と一体となった古式のヨガであろうからです。
それらが気功となり、武術となったというのはおおむね間違いのないところでしょうから。
ただ、そのままでいたのではなく、達磨大師の宋代や明清の頃にアップデートを繰り返されていたということだと思われます。
なので本来は、いまさらその、痕跡をうかがうのも難しい大昔の唐代の少林武術について触れる必要もないのですが、今回はその時代に目を向けたいと思います。
唐の時代の仏教は、老荘思想の視点から邦訳された、佛教と言われる物の原点です。
ここでタオとインドの仏教との融合が始まった訳です。我々、中国武術の思想というのはここに大きく言うとここに集約されると言う感じがします。
それを禅宗として確立させたのが達磨大師だということで、宋代に一度、仏教の身体観の大きな変革が起きるということだと思われます。
それ以前の唐の仏教に関しては、これは老荘すぎて違うのではないかという意見がありました。
そのために、現地に行って原点を研究したいと言う流れが生まれます。
しかし、その旅があまりに危険で死者が多かったため、国はこれを禁止することになりました。
それを破って天竺に向かったのが、玄奘三蔵法師です。
有名な西遊記の主人公ですね。
西遊記のお話の中では玄宗皇帝に認められて義兄弟としての旅だったとありますが、実際にはそんなことはなく関所破りで密航したようです。
彼がシルクロードを辿り、インドに向かう途中に吐蕃と言われたチベットや東南アジアの区域がありますが、そのアジアの中ほどで同時代に現れた人物に次回は目を向けたいと思います。
それは、ムハンマドという人です。
そう。この時代、唐が世界最大のコスモポリスとして栄えていた一方、それだけ民心が救済を求めていたのであろうということが、仏教の深化とイスラム教の発祥としてうかがえるのです。
つづく