現在、マニラに着きました。
32度の熱帯でいきなりなんですが、以前に、師父から呪いについて戒められたことがありました。
気功で様々な物に繋がる、共振する能力が高まった身の者が、誰かに悪意を持つとそれが呪いのようになることがある、ということです。
人を呪わば穴二つ。
なので戒めなさいという教えでした。
こんなことを書くと、中国武術の人はこれだからオカルト界隈の人間なんだと思われそうですが、そこをきちんと解析してゆきたいのが私たちです。
というのも、気功の考えでは元神という本能の部分を発達させることを旨としています。
そこで上に書いた共振性や共感性のような物となる訳です。
モスキート音のことを思い出していただきたいのですが、自我が知覚していると思っていなくても、肉体が感じて反応するものというのがあります。
それです。
気功で地面や植物や川や風など、色々な物との繋がりを感じる力が発達します。
そうなると、低いレベルでは武術の能力が上がりますし、より上のレベルにおいては直感などの能力が向上してゆきます。
それはすなわち瞑想の力の向上であると言えます。
脳科学の教授の研究では、瞑想やヨガをしている人は苦痛に対して常人の二倍強いという結果が出たそうですが、これなどもおそらくは痛みの感覚をコントロールできるようになっているためではないかと思われます。
武術に関して言うなら、やはり地面と空とのつながりが強い方が発勁が強くなります。
そのつながりの強さを、動物の持つ力であると言うのが私が学んだ武術の中核なのです。
そしてその動物の力なのですが、ある種の動物は別の種を麻痺させる力があります。
毒と言った化学変化による物のことではありません。
例えば私は熊の鳴き声というのが恐ろしい。
あれを間近で聴いたらおそらく恐怖で身体がマヒしてしまうことでしょう。
また、ライオンの吠え声もしかり。
ある種の蛾や鳥は、羽のの模様によって天敵である鳥を怯えさせて近づけさせないと言います。
より我々に身近なのは、黒板をひっかく音です。
あれを聴くと身体の内側から神経が苦痛を覚えてマヒするということは多くの人にご理解いただけるのではないでしょうか。
フィリピン武術では、瞬間的に相手を混乱させたりして麻痺させることをスタンと言って、技術の内に含んでいます。
師父が言う呪いはこれを気功におけるつながった部分で行う物であるようです。
おそらくは、メンタリズムや催眠術などの部門がこの辺りに明るいのではないかと思われます。
なぜこのような話をしているのかというと、実はこの数日、立て続けに私がこの禁じられた呪いの力を用いてしまったのではないかと思うからです
不愉快な話なので詳細は省きますが、いずれも二人組と対立関係に陥るようなことがあったのですが、私がいつもどおりにしっかりとした状態で接していると、どちらの時も相手二人は上ずって震えだしてきてしまい、最終的には片方の時は両者が手に持っていた物を取り落としてしまいました。
これは非常に反省しました。
私の心境も悪かったし、良くない感情に強く囚われていました。
それによって有利な立場にいたはずの二人が怯えてしまったことに正直とても傷つきました。
暴力を振るうととても孤独になると書いたのは作家のデニス・レヘインですが、それと同じ気持ちになりました。
そのために、もうそのような力は欲しくないと思い、無くなるようにと願っていました。
私の求めるのは精神の自立のための力であり、人を恐れさせるような物ではありません。そのようなものなら無いほうがいい。
しかし、その数日後にまた望まずして同じようなことになってしまいました。
完全に向こうが主体でわざわざ絡んで来たのですが、結果は同様です。
ただ、そちらの時はどちらかというとあの映画のジェダイ・トリックのような物に近かった。
相手を怯えさせてはいるのですが、そのまま言葉をゆっくりと伝えて相手を操作するような感じです。
暴力的な気持ちになることに強くブレーキがかかっていたのも影響しているのかもしれません。
同じように相手を包んで圧しているような感じではありますが、自分の感情と思考を正しい状態に置こうとしていたところに違いがあるように思います。
映画ではジェダイ・トリックを「自分を持たない相手にほど良く効く」と言っていましたが、本当にそれに近いように思いました。
自分がしっかりと自分を立てているのに対して、相手が感情しかもたず中身が空虚だと、結局正面から接した時に向こうが容易く折れます。
これはやはり、気功の力、瞑想の力でしょう。
禅宗における喝というのはこのような感覚の上に成り立っているのではないでしょうか。
呪いと言いましたが、これは感情の伝達による効果なのではないかと現状仮定しています。
より気功的な言い方をするなら、良くない気、邪気を伝えているとも言えるかもしれません。
謝大師が言う、イモ―シャン、悪感情の投射です。
これは人に良くない影響を与え、ひいては社会に良くない影響を与える。
さらに言うと、その社会に満ちた悪意がまた人に帰ってゆきます。
そのためにこれを個々人が気功をして昇華してゆこうというのが大師の気功の考え方です。
師父が言ったように、対象に響く力が強くなった私は、その投射が強くなったのではないでしょうか。
これはとても良くないことです。
元々体質的に資質があったのかもしれない。
我知らずに、人と向き合って相手を恐れさせるようなところがありました。
悪意はないのですが、存在の力が強いので相手が打ちのめされてしまうのだと、十代の頃に世話になっていた兄貴分が言って言いました。
彼はこれを潮汐力と呼んでいた物です。
これは相手を怯えさせ、暴力を誘発する資質でもあります。
そのような物も含めていまに至っているのですが、このまま進めば気功の左道に落ちたと言えるでしょう。
この悪感情を自ら制御し、より静かでいられるようにしてゆくヒントが、今回の旅で見つけられないかと思っている次第です。
なぜなら、日本よりもこちらの方がヒトの悪意が少ないように感じるからです。
より自然が近く、抑圧されていない。
日本社会は狭苦しさとそこに住まう小人たちが一体となって捻じれた卑屈さに満ち溢れている。
それは明らかに私の内にある悪感情の元となっています。