陳舜臣先生は、中学生くらいの頃に読んでも今一つ面白味が掴めなかったのですが、そこに登場する人々の仁義な任侠という物は胸に残りました。
そしていま、海賊小説を求めると陳先生の物に当たります。
今回、マニラで「天翔ける倭寇」という作品を読んでいるのですが、いやこれも面白い。
もう、冒頭でいきなり私のツボを貫いてきます。
というのも、和歌山の雑賀衆の元に海賊船が現れるシーンから始まるのですが、これが作中の言葉で言うと「マネラ国の鉄の木で出来ている」と言うのです。
これはつまり、マニラ、ルソンのことでしょう。
そして鉄の木というのは、恐らくはカマゴンのことです。
フィリピン武術でも鉄の木と呼ばれている黒檀で、昔の人はこれで作った木刀でしばきあって武術の技を用いたのです。
これはとても頑丈なので、これで作った船で敵に突っ込むと打ち砕くという工夫だそうです。
このように、海賊文化が成立する海域が特産物による必然性に裏打ちされていたということが分かります。
そして、これが現れたのが和歌山の雑賀の里ということがポイントです。
雑賀と言えば鉄砲衆。
鉄砲をもたらしたのは倭寇の五峰王直で、その始まりがあった種子島は雑賀のすぐ南です。
その地理的理由によって種子島産の国産鉄砲の概念は雑賀に広まるのですが、この鉄砲を作るのには当然鉄が必要です。
日本で鉄と言えば、世界に名高い玉鋼という連想が起きるかと思います。
これによって折れず曲がらずの刀が作られる物の、発掘数が限られているために鎌倉時代と同様の刀はもう作れないという説があります。
さような国産の鉄ですが、日本の鉄では鉄砲を作るとすぐに壊れてしまうので向いていないのだと言います。
また、日本では硝石が発掘出来ない。
鼠鉄という物で硝石を精製していたのですが、これの掘り方がすさまじい。
古い家の軒下などを掘ると、ネズミやイタチが死んでいった場所があります。
そこの土には化石燃料のように鼠たちの死体からなる鉱物成分が含まれているため、それを持って硝石を作るのだと言うのです。
大変面白いのですが、当然あまり採れないし残念ながら精度も良くなかったそうです。
そこで、雑賀鉄砲衆は外国から鉄と硝石を入手する必要があるのですが、これが手に入るのが福建省とタイ。
この理由によって、海賊衆は武力と商売物の両方を賄うためにこれらの地域を往来する必要性があった訳です。
かくして、福建を中心に西はタイから南はフィリピン、東は和歌山までの倭寇たちの海域が形成されたという訳です。
コンキスタドールやポルトガルの海賊たちはここを通り抜けて南米にまで向かったのですが、倭寇たちはこの海域で充分サイクルが完結していたという次第です。