段階の上部の内容にまで至れたのは幸いだという話を書きましたが、こちらに居て、毎朝ジムに向かう時に思うのが「みんなもつれてきたかったな」ということです。
もちろん、技術で言うならここから持ち帰って皆さんに分けるのが私の仕事です。
それはグランド・マスターも練習の度に言ってくれています。
そうなのですが、それだけではなくて、この、未知の道をたどって最後に行きついた宝に直面するという体験を共に分かつことが出来ていたなら、と思ったのです。
特に、うちはエスクリマで脱落した人にはひどい人が多い。
人格的に極めて劣悪で、せっかく良い世界に進める場所に来たのに、ねじれた自己愛から自ら脱落してゆく人が後を絶ちませんでした。
とてももったいなく思います。
それらの人たちがズブの素人からここに自力でたどり着いたとしても、恐らく私と同じ物を観るのは難しいことでしょう。
ここに至るまでの間に十五年以上やっていた私が一緒に居れば、その先として開かれた扉を一緒に見ることが出来たのに。
実はこちらでも、この段階まで一般の生徒が来ることはないのだそうです。
アイヴァンが教えてくれたのですが、指導中に生徒に注意をしても聞かないことが多いのだとか。
「みんな、自分が大好きだからね」と、私が普段言っているような言葉を彼もまた使いました。
自己愛に目がくらんで大切な物が得られなくなってしまっている。
「だから、GMも教えないんだよ」
その中で、こうしてガツガツ学びに来る私に目を掛けてくれたのは、理解が出来る気がします。
お釈迦様は損得の道では無くて求道の道を行くことで心を良くするのだとおっしゃったそうですが、そのためには最低限の心が必要である気もします。