シニア・マスターのライセンスと証明証、そしてグランド・マスターとして日本で教えることの許し状が与えられました。
知らなかったのですが、シニア・マスターというのがランクで、グランド・マスターというのは役職であるようです。
シニア・マスターの中から選ばれたグランド・マスターが、その地域を統括し、指導の責任者となり、段位の発行をします。
当然、全体のグランド・マスターは私のグランド・マスターなのですが、日本のグランド・マスターに私が任命されたという形です。
かといって、役職に就きたくてやってきた訳でも帰国後政治活動に専心するつもりもないのですが、ここまでこれたことには大きな意味があります。
というのも、このランクに来るまでに「全伝を許す」と言って本当にこまごましたことを教わりました。
私は出来ることでも、そこに至るまでの細かい改訂を一つづつ教えられ、復習を求められました。
これは、新しい入門者が入ってきてからの指導の仕方だ、とのことでした。
これまでのマスターまでの段階では自分の実力のことだけを考えていれば良かったので、何かを見せられて「やれ!」「イエス・サー!!」「違う! こうだ!!」「イエス・サー!!」「そうだ。出来たな」「イエス・サー。サンキュウ・サー。ぜいぜい」という体得すれば終わりだったのですが、今度は視点が違うのです。
入門者はこれ、次の段階ではこのアレンジだ、とやっていって、ブラック・ベルトはこれ、そして、マステラルはこれだ、となります。
マステラルはマスターだけが教えられるランクの物で、その多くは秘伝だと言われました。
そして驚いたのですが、このマステラルまでに至ると、全体がまったく違う物に見えたのです。
昔、伝統系のエスクリマはやってることが散漫で一貫性がなくて何をやっているのかが分からないからつまらない、と聴いたことがあります。
私が伝統系に入門したときも「伝統系は難しいよ」と日本のエスクリマ経験者に言われました。技術が難しいと言うより、理解が難しいという文脈でした。
その難しさの理由が分かりました。
練習で習ったことがそれぞれ全然バラバラで、まったく違った物を寄せ集めたように見える部分は、いわば三角錐の底辺のような物で、それぞれが発展した時に上で一つに融合されるのです。
そして今度はその頂点が新しい三角錐の底辺の角となる、という中国武術の練功法と同じ仕組みが実はエスクリマにもありました。
前回に来た時「次はペルソピアの復習とバストン・ドブレからだ」と言われたのですが、この、バストン・ドブレ、つまり両手持ちの棒による戦いの技術から先が今回のマステラルの中心でした。
バストン・ドブレは非伝統派のバハド(戦後に流行したエスクリマによる決闘、タイマンのスタイル)のエスクリマでは古い練習方法として形骸化しているとして知られていたのですが、伝統派では普通にこれで戦う練習をします。
そして、それがエスパダ・イ・ダガになります。
これは右手に棒、左手にナイフのスタイルなのですが、この時の基礎としてバストン・ドブレが必要となるのです。
さらには、この後にシンゲル・ブレード(片手での剣)があります。
エスパダ・イ・ダガとは剣とナイフという意味なので本来は剣のはずなのですが、この前の段階では棒で行います。
しかし、シンゲル・ブレードをやった後は棒が剣に変わります。
さらに、ナイフもブレードに変わります。
両手に剣の二刀流です。
これがマステラルです。
セラダ、アブエルタ、ラ・グラマノ、パリス・パリス、エンプティ・ハンド(徒手)などのバラバラの練習方法は、この段階ですべて一つの物として組み合わさります。
この、一つの流派をばっくりと持ち帰れたということは、今回の大きな収穫でした。
そして、それが分かるということが、伝統エスクリマの実態を正しく伝えられたという意味でも、日本のエスクリマ界にとって大きな意味であると思います。