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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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いま書かねばと思ったこと 2

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 しかし本当は、日本でもこれまでいくつも危機がありました。

 私に直接関わることで言うなら、阪神大震災、バブルの崩壊と長い不況、3・11の震災、サブプライム・ローン崩壊による金融危機。

 しかし、それらから何も学ばず、現代日本人は無策なままでいたのではないでしょうか?

 これは、戦後社会においてほとんどの人の人生が、会社員時代とそのプレ期という風に形作られて、それを中心に世の中が組まれてきたからではないかと思われます。

 少年期においては受験、成人して以後は金稼ぎ以外のことをほぼまったくしない生き物として戦後日本人は養われてきたのではないでしょうか。

 その受験制度の見直しが進み、次からは読解力、思考力、表現力を重視した物に変更されると言います。

 本当はもう喫緊にでもする予定だったのですが、まだ受験生が対応できないということで二年先に見送られることになったそうです。

 つまり、現行の受験制度には、読解力、思考力、表現力が足りないと言うことが公式に認められているということです。

 科挙まがいの丸暗記の能力を審査して、工員になるための適性を判断するというのが元々の受験制度だというのだから当然のことでしょう。

 自分で考えて自分で生きる能力など不必要どころか邪魔でさえある。

 正直、サラリーマンになってから、上司、センパイなどに「自分の頭で考えるな! 人と同じことをしろ!」と言われたことがある人は多いのではないでしょうか。

 そのような世の中で、自分の頭で物を考え、倫理を持って生きる人間はどんどん生きづらくなって行き、経済的に困窮したりあるいは精神の病に陥ったりしていったことは明白です。

 異常な高さの自殺率がそれを物語っています。

 そういった世の中を変えることは私にはできません。

 しかし、それにNOと言い、その世の中で迷っている人の力になろうとしてこういう活動をしてきている訳です。

 一貫して、自分がやっていることは強弱や勝敗を争う物ではなく、気持ちよく生きるための哲学だと言ってきたのはそういった次第です。

 自分の頭で考えることを放棄した人達の間には、危機を直視すると言う意識が極めて希薄であると思います。

 それは、本気で生きることに対する忌避感があるからではないでしょうか。

 人が本気になったときに争いが起こされるということを、我々の国は二度の大戦で経験しました。

 そのトラウマが、何事にも本気にならない物の見方をする世の中を育んだように思います。

 そこには、危機を直視すれば危機を招くと言うようなシャーマニズムさえ感じられます。

 出来るだけ現実から目をそらし、 安全な一億総中流社会という幻想に浸ることに多大なエネルギーが注がれている気がします。

 その信仰が、繰り返された危機から物を学ぶと言うことを奪ったのではないでしょうか。

 目をそらしてみないようにし、なかったようにする。

 その結果、起きたことから学ぶこともなかったことになる。

 戦争が終わってから年寄りになるまでそれを維持できたのだという人達にとっては、これからもそうやって平穏に逃げ切れるだろうという思いが浮かぶのも当然です。

 しかしことここに至って、世界的な危機がいま現実のものとして進行しています。

 コロナ・ウィルスの蔓延を「ある意味で痛快」と書いた馬鹿が居ましたが、これのどこに痛快さがるあるのか、理解しようとして色々な角度から考えましたがどうしてもわかりませんでした。

 あるいは、閉塞した社会に適応して生きてきた硬直した脳の持ち主には、崩壊にカタルシスを感じる心理があるのかもしれません。

 私にはそんなことは少しも考えられない。

 なぜなら、半年後か、一年後か、もっと先か、ワクチンが出来るなりなんなりして世の中が回復に向かう間、およびそれまでの間、我々が直面する危機は貧困と生活苦という大変に惨めで苦しい状態だからです。

 すでにマニラやNYでは食料が手に入りにくくなっているそうです。

 そんな状態で暮らしてゆくことのどこに痛快さが?

 我々は衛生危機の後の、生活苦を想定してゆく必要があります。

 我々はその苦しさを知っている。

 なぜなら、通称就職氷河期世代と言われる我々はずっとその中に居たからです。 

 月収13万ばかりの仕事をあらそい、どれだけの物を支払って生きてきたことか。

 それが理解できる同世代の人々は日本中に居ることでしょう。

 かの時期に30代前後だった人間は、高校生、大学生のバイト程度の仕事にさえつく事が困難だった。

 その一因に、企業側による買いたたきがあります。

 少し世相が落ち着いてから、それらの減少にブラック企業という名前がついて裁定されるようになりましたが、オンタイム時はそんなものにでもしがみついてその日暮らしをするしかなかった人が沢山います。

 戦後、社会が何も学んでこなかった結果がそういった問題なのでしょう。

 一言で言うなら、すべて人心に由来する物です。

 この国の民度そのものの反映だと言って良いのではないでしょうか。

 今回の世界的な経済危機は、サブプライムローンの時の比ではないかもしれない。

 我々は今度もまた、その中を行き、世の中を立て直さないといけない。

 そして立て直すのだから、今度はこれまでと同じようにするのではなく、苦しみを踏まえて問題を直視し、人が人を苦しめる制度そのものを改善した物として立て直さないといけない。

 普段、いけないなどと言う言葉はあまり使いませんが、今回は使います。

 なぜならそうしないと、未来に希望が無いからです。

 維持と修復では何も変わらない。

 創造と変革を意識してゆくことが希望に繋がる。

 希望が持ってこの先を進めたいのです。

 現実を見ないのではなく希望を見る。

 そのためには強い腰と人としての根が必要です。

 どうすれば根が得られるのでしょうか。

 学ぶことからではないでしょうか。

 

 


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