本日はコロナで踊りにも行けないしレッスンも開けないので、一人でカフェに行ったりしていました。
古本屋さんで平家物語に関する本を探していたら、20年前の中国武術雑誌がどっさりと並んでいたのでつい引き取ってきてしまいました。
当時は私は総合格闘技野郎で、中国武術なんて骨とう品にはまったく興味がありませんでした。
どころか、鼻で笑っていたところさえありました。
文化という物を理解していなかったのですね。
いまこの頃の雑誌を読むと、その価値がよくわかります。
もちろん、現在の方が正しい情報は沢山得られますし、本当のことが知りたければ現地に行く以上のことはないと分かっています。
しかし、この頃にはこの頃にしかない大切な物があります。
それは、昔の人たちのお話です。
技術論なんてのは習わないと分からない。茶話に話してもなんの意味もない。
しかし、昔の人たちの話と言うのはその時代ならではの空気を伴った大切なものです。
特に、この時代の古老のお話と言えば、多くは大戦期での物になります。
日本で最初に太極拳教室を開かれた方などは老人施設でインタビューを受けているのですが、大戦時に工作員として大陸に入り、多くの中国人を殺めと涙ながらに語り、日中友好に命を使い果たすことしかできないと言っていました。
このようなことは、歴史の生き証人でなければ語れない言葉です。
この方については以前にも書きましたが、戦犯として刑務所に入れられて、そこにいた溥儀に太極拳を教わったと言う方です。
有名な八極拳でも、やはり軍閥の中で有名になった門派なので、往時のことを語ってくれているのはとても貴重なことであるように思います。
そのような時代のお話は、ある種武侠小説の世界のことであり、当時の社会観や世界観という土壌の中で、武術というものがどのように認識されていたを知るための重要な物になります。
インターネット時代の私たちは、同じ技術を習っても当時の人たちと同じように感じることはできません。
その部分を伝えてもらえることはとても意味があるはず。
沢山の昔語りの中には、ここで記事を書き始めたころに紹介したお話が詳細に乗っていました。
このお話のソースは、李新民先生という方でした。
彼は一族に伝わっている心意拳の継承をしているのですが、そこに伝わったのは李鳳儀という一人の拳師からだと言います。
この李先生、元は翻子拳の使い手で強者として有名だったそうなのですが、買壮図という心意の老先生と腕試しをしたところ、手も足も出なかったのだと言います。
すでに高名な武術家であった李鳳儀はそれまで学んだすべてを捨てて、買老師に入門して心意拳を学んだのだそうです
非常に熱心に学んだので、ついにはすべてを体得したと言います。
買老師はそのことを自分の息子に語りました。
そうすると息子は「与えた物を取り返してくる」と言ったそうです。
買老師はそれを禁じたのですが、息子は夜のうちに抜け出して李鳳儀の元に向かいました。
与えた武術を取り返すとは、その武術をすることも伝えることもできなくするということです。
すなわち彼は秘伝を守るために李鳳儀を殺しに行ったのでした。
しかし、李鳳儀の家に着くとちょうど彼が夜陰の中で練習をしているところであり、それを見た買師の息子はすぐに引き返したと言います。
息子が家を出て行っていたことを知っていた買老師は息子にどうしたかと訊いたのですが、すると息子は「親父がすべてを与えてしまったから、俺には取り返すことが出来なくなっていた」と答えたということです。
昔日の武林の凄みを感じさせるお話です。
我々武術家は、時代は変わってもこのような折り目という物を忘れてはいけません。
自分たちが携わっている文化がどのような物であったかを知ることはとても大切なのではないでしょうか。