また、まとめ買いした昔の武術雑誌に載っていたお話です。
実戦なら○○拳と言われる有名な武術の老師が「打つときは頭蓋骨の継ぎ目を狙うんだ。そうするとそこが外れて中にダメージが行く」ということを言っていました。
実に中国武術らしい、恐ろしい話です。
すぐにこういう、相手を廃人にするような容赦のないことをする。
そもそもが戦法としてはそういうことが目的であるため、本来腕の巧拙を比較できる物ではないというのが中国武術の特色です。
この老師が続けて行っていることがこうです。
「でも、頭蓋骨の継ぎ目なんて普通に打ってもそう簡単に開くもんじゃない。そこで勁を使う」
この拳法、実戦なら一番使いやすいと有名な反面、気功や内勁で語られることが多くありません。
それがつまり、喧嘩向け、実戦に向いている、ということなのではないでしょうか。
この、頭蓋骨の継ぎ目を狙って打って開く、というのは、短勁の特性ゆえの物です。
なぜなら、我々のような長勁の武術では、頭部を打てば当てたところは何ともなくて、首がそのままへし折れます。
これは練習中の事故でもまま当てたところではなくその先の脊椎や裏にある骨格にダメージが行くということで私たちも経験しています。
以前に、別の門の師父をしているという者の胸をちょっと強めに打ったところ、手元が狂ってしまって思ったより強く効かせてしまったことがありました。
その時、当てた胸の筋肉はまったく傷めていないのですが、相手はのけぞって悲鳴を上げながらとっさに自分の背中をさすろうとしてもがいていました。
打った場所の後ろ、内側にダメージが至るのです。
いろいろな門派の逸話を訊くと、その門の勁の種類が伺えることがあります。
触っただけに見えたようなのに、打たれた相手がそのままくの字に折れてそのまま立ち上がれなくなったというのは長勁。
見えないほど早くていくつも連打が入っていたというようなのは短勁。
このお話の老師の門は快速をして知られています。
そして、このお話からもう一つうかがえるのが、つまりやはり、短勁は十全に活かすために詳細な打人法と対になっているということ。
急所知識がないと、そのダメージの活かし方がどうしても薄くなる。
そのあたりから、ではどうやってそこを打つのか、そのためにどう動きを誘導するのか、というような戦法の話が拡大されてゆくことになるように思います。
なるほど、実戦拳法としいて言われるのも納得です。
対して長勁の武術は急所の概念が無い。
触ればどこでも打てる。
これは弾丸で打つような物ではなく、車で轢くような種類の力であるからです。
以前私が勁で打った中国拳法の先生が「自分たちがやっているのは水鉄砲のような勁だが、これは津波のような物だ」と驚いていたことがありました。
水を細く絞って圧縮すれば石をも穿つことが出来ます。
私たちは穿たない。
力積を求めているのです。
なぜなら、それは気功の結果の一つにすぎず、気功の行においてはより大きなこの世界の力を感じ、それと読んで繋がることが課題であるとされているからです。