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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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翆虎伝 椿説弓張月

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 平家物語の中で、最強の武士として登場するのが、鎮西八郎為朝です。

 いかにも平安時代的な豪傑で、武将と言うよりも金太郎などに近い、怪童の類として登場します。

 いまだ童子の十数歳であるにも変わらず、すでに身長は七尺を越して怪力を誇ったと言う伝説の人物で、いたずらが過ぎて家族に迷惑をかけていたというから、スサノオの命の直系の人物だと言えましょう。

 いたずらが過ぎたあまりに西に放逐となるというのも日本神話を下敷きにした物語構造を観ることができます。

 とはいえ、このいたずらというのもすさまじく。

 悪入道信西が殿中にて「希代の弓の上手とはだれか」ともめ事の元にしかならないようなことを発言いたしまして。

 というか、わざとそういうパワハラをしたのかもしれない。

 配下の二名がピックアップされるのですが、そこで黙っていられないのが控えていた源氏の者たち。

 特にまだ子供の為朝は聞こえよがしにあざ笑う。

 こうして、信西が願っていた通りに虐殺ショーが始まります。

「弓の名手なら矢を射られても避けられるだろう」という意味不明の理屈から、二名の武士に為朝に矢を射かけさせます。

 しかも、隠し矢をそれぞれに持たせておいて二の矢も討たせさせる。

 しかし為朝、至近距離でいられたこれらの矢を、両手で掴み、残った一本は袖口で絡めとり、もう一本は口で噛み捕る離れ業を披露します。

 さらには武士として当然のこととして驚き呆れる信西に向かって「それではいただいた矢をお返しいたす」と命を取りに歩み寄ります。

 腰を抜かしてあわや打ち取られるかとなったところで「宴の座興でございましょう?」とジョーカーのようなことを言って納めるのですが、これで命を助けられたと思う信西なら後の破滅もなかったかもしれません。

 喧嘩が弱くて頭でっかち口先だけの知識人政治家、命の借りを感じるどころか為朝を西に流してしまったという次第です。

 そこからの為朝と言ったら、狼を手名付けて子分にしたり、大蛇を退治したり、荒くれ者たちを家来にしたりします。

 と言いますが、実はこれ、江戸時代に滝沢馬琴が書いたお話が基になって広まったお話かもしれません。

 というのも「椿説弓張月」という為朝を主人公にしたお話が、八犬伝と並ぶ彼の人気作だからです。

 狼を飼いならすというのはいかにも八犬伝的ですし、大蛇退治もしかり。

 そして、家来にした連中と言えば、修験者崩れで強盗になったあき間かぞえの悪七別当、射手の城八、手取りの与次、止め矢の源太、大矢の新三郎、三丁礫の紀平治、金拳の八平治と言った連中で、まさに八犬士のような連中です。

 手取りの与次というのはおそらくは捕り手、つまりは柔の上手ということだと思われます

 止め矢というのは矢を止めると言うことでしょうか。

 剣術や柔術では槍に対抗する技や矢に対抗する技のことを槍止めとか矢止めとか言うので、何かそういう技があったのかもしれません。

 大矢といのは大きな矢かもしれません。

 というのも、親分の為朝自身が三年竹に槍の穂を継いだような巨大な矢を放って船を沈める人間砲台なので。

 三丁礫の紀平治というのは印地打ちの名人で、三丁先まで礫が届いたと言います。

 別の伝では八丁礫と呼ばれているのですが、一丁が時代によって、1キロから200メートルなので、三丁だとしてもすごいことになります。

 金拳の八平治というのも面白い男で、鎖を拳にまいて戦うという不思議な拳法を使います。

 それの一撃で籠城している相手の屋敷の門をぶち破るので、高い地力を思わせます。

 と、ここまで書いていると、八犬伝というよりはその元ネタとなった水滸伝に近い気がしてきました。

 実際、物語の中で為朝は裏切り者をかまゆでにしてその肉を家族に食べさせたりと、かなり残酷なことをしているのですが、この辺りは露骨に水滸伝の影響が感じられます。

 為朝は彼らを率いて九州を平定、さらには保元の乱が起きればそのまま上洛して参戦、そこで敗北しては伊豆に島流しとなるのですが、そうすると今度は武力で伊豆を治めて代官の地位を実質乗っ取り、そのまま伊豆に攻め込もうとします。

 そこを手掛かりに坂東の地を治めて王になろうという意図があったようですので、これは鎌倉幕府のプロトタイプ的な物を感じさせます。

 しかし、実際には伊豆攻めはしたものの、都に告げ口をされてそこから送り込まれた軍勢によって為朝は敗北、観念して切腹という最期を遂げたようなのですが、物語の中ではそうはなりません。

 大船でかつて領地とした九州に戻ろうとするのですが、波の流れで琉球に流れ着いてしまいます。

 そこで、現地を支配していた悪龍を倒して琉球王家に血を残す、というのが伝説でのお話となっています。

 お話の中で繰り返し、為朝は大蛇や蛇、龍と言った物と戦っています。

 中には、龍だと言いながら実は山伏が術でそう見せていたという物があったり、敵武将が妖術で変化したものであったり、また沖縄に群生するハブの群れであったりとバリエーションがあるのですが、この龍と戦う宿命にあるというのは英雄伝説の中で王道的であるという気がします。

 反面、体制への反逆者であり、危機に陥るとかつて仕えた崇徳上皇が死して変じた魔王の軍勢が助けに来たりと、ダークヒーロー的な要素も持っています。

 あるいはそこに、当時の公家権力に対する武士という物の姿があったのかもしれません。

 この、平安時代の武士という物の荒くれぶりはものすごくて、為朝も隙あれば腹を切ろうとします。

 作家の津本陽先生の考察では、当時は手傷を追うと感染症で苦しんで死ぬことが多かったためではないか、ということですが、とにかく自決を急ぐ。

 物語の途中で仲間たちが為朝を守って命を捨てるのを見るたびに「見事な最期であった! かくなるはワシも見事この腹かっさばいて共にあの世に参ろうぞ!」などともろ肌脱ぎになりたがります。

 そのたびに周りの仲間が「いやいやあなたを助けるために死んだんでそれを無駄にしないでください」と止めるというコントが何度も繰り返されます。

 その為朝、最後はどうなったかと言いますと、琉球を悪龍の支配から救ったのち、助力をくれていた神仙に呼び出されて「お前は見事に生き切った」と言われて神に封じられます。

 そう。封神演義になるのです。

 やはりここに、馬琴の中国小説への明るさが伺えます。

 そして、神に封じられた為朝がどうなったかと言いますと、魔王になるまでの崇徳上皇が監禁されていた讃岐院の竹林に行き、そこで見事に追い腹を切るのでありました。んあー。

 太平記によると、為朝は崇徳上皇の魔王軍に居たところを目撃されているそうですので、生きながらに神になったのちに切腹したことで、屍解して霊となったのかもしれません。


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